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(7)月の恋人 ~Moon Lovers~ [ドラマレビュー]

『月の恋人 ~Moon Lovers~』
第7回

(2010年 フジテレビ 全8回)
演出:平野眞 脚本:浅野妙子、高橋幹子、山上ちはる 出演:木村拓哉、篠原涼子、松田翔太、北川景子
          Official Wikipedia / TV Drama DB          

第7回視聴率、14.4%。

来週、最終回!?驚きました。
このドラマは、テレビ情報誌などではずっと「放送回数未定」となっていて、
フジテレビとしては高視聴率を期待して、どちらかといえば全10回とか11回を視野に入れていたはずですが、
まさかの全8回となり、これは事実上の早期「打ち切り」と考えていいでしょう。
私は、当初の予定は全10回を基本に視聴率によっては1週延長して全11回というスタンスだったと想像しています。
仮にそうだとすれば、この2時間15分の拡大枠という異例の最終回は、
当初の予定通り第10話まであった残り3話分の脚本をおよそ2話分に短縮したものだと考えられます。

フジテレビの看板枠である「月9」の早期打ち切りには、かなりのセンシティブな決断が存在していると考えられ、
想像ですが、けっこう「偉い人たち」の会議で決まったんじゃないでしょうか。
いずれにしろフジテレビとしてはこのドラマの取り扱いに相当腐心したのは確かだと思われます。
私としては、これによって次作『夏の恋は虹色に輝く』の放送開始が早まりそうなので喜んでいます。

さて、このドラマの内容および結末については、概ね想定内に納まりそうです。
逆に製作者としてはこのドラマに対する視聴者の反応(=視聴率)は想定外の事態だけに、
最終回を前にストーリー上はそんなに大きなサプライズはないのではないかと考えています。
作り手の心理として高視聴率で迎えたドラマの最終回は、
視聴者の期待に応えるべく、それなりの思案を巡らせて結末にも工夫を施すものですが、
低視聴率のドラマの最終回は、視聴者の期待が薄いだけに無難な線に落ち着いてしまうような気がします。
製作者にとって、最終回を前に視聴者から何の思案も小細工も要求されていない事態は、ちょっと悲しいものがあります。
もっともこのドラマの最終回にサプライズがあろうとなかろうと「月9史上屈指の駄作」の烙印は免れないでしょう。

最終回視聴率予想、15.0%。

関連記事 : (1)月の恋人 ~Moon Lovers~
(2)月の恋人 ~Moon Lovers~
(3)月の恋人 ~Moon Lovers~
(4)月の恋人 ~Moon Lovers~
(5)月の恋人 ~Moon Lovers~
(6)月の恋人 ~Moon Lovers~
(8)月の恋人 ~Moon Lovers~


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(下)素直になれなくて [ドラマレビュー]

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『素直になれなくて』
(2010年 フジテレビ 全11回)
演出:光野道夫 ほか 脚本:北川悦吏子 主演:瑛太、上野樹里、ジェジュン、関めぐみ、玉山鉄二
          Official / Wikipedia / TV Drama DB            

本作の脚本を担当した北川悦吏子さんは、
ツイッターという新しいツールに着目はできても、それを時代のニーズに合わせて現在の価値観で昇華させ、
ドラマ作りに適確に生かしていく感性は持ち合わせていなかったようです。

『東京ラブストーリー』(1991年)の大ヒットで90年代に一躍トップ脚本家に登り詰めた坂元裕二氏は、
その後は今ひとつヒット作に恵まれませんでしたが、今年NHKで放送された『チェイス~国税査察官~』は、
それまでのキャリアが嘘のような重厚かつ娯楽性を重視した高品質のオリジナル作品となりました。
意欲的に新ジャンルに挑戦した坂元氏は、この作品で久々にトップ脚本家としての存在感を示してくれました。
ちなみに今期、日本テレビで放送されている『Mother』も坂元氏のオリジナル脚本です。

それに対して、同じく90年代に一世を風靡した北川悦吏子さんが発表した最新作は、
観終わってみれば、20年前とまるでやってることが変わっていないという大変残念な作品となってしまいました。
1クールという短期間で、悪く言えば「使い捨て」のように新作が発表されていくテレビドラマというジャンルにおいては、
時代の価値観やニーズに対応できない、あるいはその意識が低い作品の存在価値は薄くならざるをえず、
厳しいことを言うようですが、北川悦吏子さんには「あれは過去の栄光」であることをしっかりと認識して欲しいところです。

このドラマは、せっかくツイッターという時代を象徴するツールを作品に盛り込んだのに(北川さん本人の意向で)、
そこに登場する人物も、彼らが発現する言動および感情も、きわめて「古典的」であり、
最初から最後までそのアンバランスが観るものに違和感だけを抱かせることになりました。
ツイッターに着目し、それをドラマに盛り込もうとするのならば、ツイッターの道具としての側面だけではなく、
それを実際に使用する人たちをしっかりと取材して、登場人物のキャラクター設定にもそれなりの工夫を施すべきであり、
それこそが時代のニーズに対応して、新しいものを作るという現在のテレビドラマに要求される基本的な作業となります。
本作におけるツイッターは、「ドラマ作り」にはほとんど貢献しておらず、
結果的に放映前の「話題作り」にしかなりえなかったのは皮肉なことです。

それでも、私は最終回の冒頭で、ナカジ(瑛太)がハル(上野樹里)に割とあっさりとフられたのをみて、
それまでほとんどドラマ作りに貢献できなかったツイッターを最終回にして劇的に活用し、
ストーリー上もドラマ製作上も「起死回生」の大逆転があるのではないかと期待してしまいました。
実績のある脚本家が自分でツイッターをドラマに盛り込んだわけですから、
最初から何らかの劇的なアイデアを「腹案」として持っているのではないかという淡い期待感を抱いてしまいましたが、
このドラマの最終回にはきわめて「ベタ」な結末しか用意されていなかったのはご覧いただいたとおりです。
結局このドラマは、北川さんが「過去の栄光」にすがってしまったと見られても仕方がない内容であり、
申し訳ありませんが、そのような評価を甘んじて受けてもらわなければなりません。

そのような視点でこのドラマの概観をなぞれば、『あすなろ白書』(1993年)との類似は偶然ではないと思われますが、
仮にプロデューサーを含めた製作者が『あすなろ白書』を意識していたのであれば、
先にも述べたように現在の価値観でストーリーを再構築する作業は不可欠で、
その作業のためにツイッターというツールを生かせれば一番良かったとは思います。
しかし、それは大変困難な仕事であることも確かで、『あすなろ白書』を意識するのであれば、
はっきりと「リメイク」を謳うしかなかったと思います。現実的にはフジテレビがそんなことをするとは思えませんが。
結果的に本作は製作者が何をやりたかったのかがさっぱり伝わってこないドラマとなってしまいました。

『あすなろ白書』との類似については、テンコさんがわかりやすく分析してくれていますので、こちらをご覧ください。
http://norimaki448.blog.so-net.ne.jp/2010-05-31

また、演出の光野道夫監督は、昔から割と斬新な絵作りをするベテランの演出家ですが、
(代表作は何と言っても『101回目のプロポーズ』です!)
本作でもシーン変わりやカット変わりで特徴的なワイプが使用されていて、スタイリッシュな演出を見せてくれました。
しかし、結局そのような斬新で力の入った演出にも、
「古典的なストーリー」とのアンバランス感が発生してしまっていたことを同時に指摘しておきます。

それともう一点。
そのようなスタイリッシュな演出とのバランスを考えれば、
WEAVERによる主題歌「Hard to say I love you~言い出せなくて」は使いやすかったと思いますが、
「古典的なストーリー」とのバランスで言えば、
菅原紗由理さんによる挿入歌「素直になれなくて」の方がこのドラマには合っていたような気がします。
これが物語の情感にはまったとてもいい曲なので、
こちらを主題歌にしていれば、もっと劇中で効果的に使用できたのではないかと思っています。
このあたりにもこのドラマのチグハグ感が漂っています。

関連記事:(上)素直になれなくて(2010-04-22)
ハルフウェイ(2009-11-21)


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絶対零度~未解決事件特命捜査~ [ドラマレビュー]

2010062301.jpg 

『絶対零度~未解決事件特命捜査~』
(2010年 フジテレビ=共同テレビ 全11回)
演出:村上正典、岩田和行 脚本:酒井雅秋、浜田秀哉 ほか 出演:上戸彩、宮迫博之、杉本哲太、北大路欣也
          Official Wikipedia / TV Drama DB          

なんでしょう、このスペシャル感のない最終回は・・・ 

原則1話完結型のドラマでしたが、回によって目に見えてクオリティのバラつきがありました。
このドラマは回によって脚本担当者が異なりますので、
そのクオリティの差は脚本家の実力差と言い換えてしまっても間違いではないでしょう。
私の感覚で言えば、思わずあくびが出てしまう週と思わず落涙してしまう週があって
そのギャップはとても興味深いものでした。
脚本家の実力
差をこんなにわかりやすく実感する機会はそう多くはないと思うので、とても面白い体験でした。

もちろん私見ですが、本作脚本担当者の力量を評価すると、以下の通りです。

 浜田秀哉
(3・7・10)
>>酒井雅秋
(1・2・4・8・9・11)
≧  谷和俊
(5・6)
※カッコ内は担当回。第4話は中邨武尊と共同脚本。

浜田秀哉さんは合計3話分を担当していますが、
他の回と比較すれば、いずれもズバ抜けてクオリティが高く、
はっきり申し上げてそれ以外の回は全然面白くありませんでした。

私は第1話を見て、このドラマに多くを期待するのは止めようと思ったのですが、
第3話の「黒髪女性連続殺人事件」のエピソードの作り方が明らかにそれまでとは異質で大変
クオリティが高く、
このドラマに対する認識をいい意味で裏切られることになりました。
このエピソードは、主人公が小さな手がかりから被害者女性の共通点を発見し、
それが犯人の動機につながって、結末にはさらにサプライズがあるという構成になっており、
このドラマが中心に据えて描いていきたいであろう主人公独特の捜査方法が
第3話にして初めて明確に盛り込まれた回と言えるかもしれません。

しかし、その印象も第4話以降、再び元に戻り、第5・6話のエピソードは、2週にまたがるほどの内容ではなく、
しかも肝心の犯人が終盤突如として、いかにも怪しい風情で登場するという強引かつ稚拙な作りで、
まさに「中だるみ」の様相を呈してしまいました。
それでも浜田さんが担当した第7話の秘められた被害者の想いにホロっときて、
私はこの時点で、週によるクオリティの差はやはり脚本担当者の力量によるものであることを確認しました。

このクオリティの差の原因はどこにあるのかと言えば、私は「物語の進め方」にあると考えています。
具体的に言えば、それは事件の概要を明らかにする新事実の提示の仕方であり、
特に酒井雅秋さんの回では科学捜査研究所(科捜研)が大変大きな役割を果たします。

近年の「警察もの」のドラマにおいては科捜研という存在は不可欠ではありますが、
そもそもこのドラマは、主人公の警察官・桜木泉(上戸彩)が独自の「感覚」で捜査を進めていくというところが肝であって、
科捜研の「科学的捜査」は、主人公の「感覚的捜査」とは真っ向から対立するような性質を有しています。

そのような視点で言えば、
むしろ主人公の「感覚」に頼った捜査が科捜研を凌駕するという描写があってしかるべきだと思いますが、
酒井雅秋さんが手がけたエピソードでは、科捜研なくして解決した事件はひとつもないとすら言える状況であり、
製作者にとって科捜研は物語を展開させるための都合のいいツールになってしまっています。
しかも科捜研のパートは、「科捜研万能」と言わんばかりの「カッコつけた」演出が鼻に衝き、
物語の進め方に説得力を持たせようとする製作者の必死な姿勢が垣間見られました。

さて、最終回では被害者の遺留品が改めて科捜研に持ち込まれて「再」解析が試みられます。
その中で被害者の警察手帳に残された指紋がすべて容疑者のものであるという奇妙な事実が明らかになりますが、
これはこのエピソードの核心とも言うべき事実に繋がっています。
このことはその直前の主人公が発見した絵馬の筆跡鑑定が霞んでしまうほどの重要な事実であり、
それに畳み掛けるように、DNA鑑定で容疑者と容疑者の母に親子関係はなく、
被害者と容疑者の母に親子関係があるという奇妙な事実が明らかになります。

おそらくこの文章を読んでこの相関を正確に理解できる方はほとんどいないと思いますが、
私も被害者と容疑者が入れ替わったという事実は理解できても、
初見ではその事実に至る論理については完全に理解することはできませんでした。
それでも科捜研の大森紗英(北川弘美)の「考えられる事実はひとつ・・・」というもったいぶった台詞があったので、
最終的にははっきりとした説明があるのかと思って流しましたが、
見終わってもこのパートがどうもちゃんと理解できていないような気がして、私はもう一度見直すことにしました。

このシーンを3度リピートしても理解できず、自分の頭が悪いのかとまで思ってしまいましたが、
5分ぐらい目をつぶって思考をめぐらせて、ようやく完全に理解することができました。
そのことを理解してしまうと、このシーンのやり取り(=物語の核心)がすんなり頭に入ってこないのは、
台詞が言葉足らずだからだと感じました。

このシーンのやり取りでは、「容疑者=橋本」と「被害者=百瀬」という事実が強調されています。
そして、二人が入れ替わっているという事実は、それぞれのDNAを鑑定した結果として明らかになっているわけですが、
この鑑定で使用されたDNAが、「どの」DNAなのかを明らかにしないと、

「容疑者と容疑者の母に親子関係はない」

という「DNA鑑定によって明らかになった事実」が意味するところを正確に理解できるわけがありません。

この鑑定で使用されたDNAというのは、おそらく12年前に発見された焼死体(被害者=実は橋本)から検出したDNAと、
絵馬に付着した橋本(容疑者=実は百瀬)の汗から検出されたDNAだと思われますが、
そのような具体的な説明がないまま、「容疑者と容疑者の母に親子関係はない」という事実だけ突きつけられても、
視聴者としては「そんなわけないじゃん、なんでそうなるの」と思ってしまいます。

私はこの複雑な構造を説明するために、
単に「百瀬のDNA」「橋本のDNA」という言葉を用いるのは不適切だったと思っています。

「百瀬のDNA」 → 「焼死体から検出したDNA」(=つまり橋本のDNA)
「橋本のDNA」 → 「絵馬に付着した汗から検出したDNA」(=つまり百瀬のDNA)

として、より客観的な視点を視聴者に提供するべきで、その上で、

「この鑑定結果によると、容疑者と容疑者の母に親子関係はない、ということになります」

という言い方にしないと、この短いシーンで視聴者にこの複雑な構造を正確に伝えることは不可能だったと思います。
製作者が事件の核心をこの段階で完全に明らかにすること嫌ってわざと「説明不足」にした可能性もありますが、
私が初見で期待した「説明」が、終盤にかけてなされることがなく、
見直して初めてこの構造を正確に理解できるという状況が存在していることについては、
製作者のドラマの作り方に欠陥があったと言われても仕方がないと思います。

私は、このシーンにおける「説明不足」にも、製作者の勝手な思い込みに過ぎない「科捜研万能説」に基づく、
強引かつ製作者にとって都合のいい物語の進め方が顕著に現れているような気がしています。
科捜研が出した結論なんだから、多少の説明を省いても視聴者に納得してもらえる、
あるいは視聴者をごまかせる、という考え方はちょっと褒められたものじゃありません。

申し訳ありませんが、酒井雅秋さんはこのドラマにおける「科捜研の力」にもっとも頼ってしまった脚本家であり、
ご自分でお気づきかどうかわかりませんが、結果的に、

「科捜研の捜査能力」 > 「主人公の警察官としてのポテンシャル」

という図式をこのドラマの全編を通じて証明してしまったのは皮肉なことです。

冷静に振り返ると、このドラマ全編を通じてもっとも活躍した警察官は、科捜研の大竹巧(木村了)であり、
大竹は事件解決に当たって、実は警視総監賞をいくつもらっても足りないぐらいの実績を残しています。
主人公の地道な捜査が霞んでしまうような「科捜研の活躍」は、製作者の意図するところではなかったはずですが、
それを酒井さんが濫用してしまったのは、脚本家としての力不足と断じてしまってもいいでしょう。

浜田秀哉さんの回がズバ抜けて面白いのは、
科捜研による強引な物語の展開がなく、視聴者の気持ちを途切れさせないからであり、
そこにはあくまでも主人公を中心に物語を進めるという至極当たり前の姿勢が存在しています。
浜田脚本では、主人公独特の「感覚的捜査手法」をフィーチャーするというこのドラマの肝を見失っていないので、
印象として科捜研の登場が相対的に減少しています。

酒井雅秋さんは、『東京DOGS』を手がけた方ですが(福田雄一氏と共同脚本)、
科捜研パートにおける登場人物の「寒いやり取り」を見て納得してしまいました。
『東京DOGS』とこのドラマをトータルして評価すれば、「物語の構成」と「台詞回し」のいずれについても
彼の脚本がゴールデンタイムに耐えるだけのクオリティを有しているとは言えず、
脚本家としての能力に疑問符をつけざるを得ません。

このドラマの「あっさり」とした最終回は、なんとなく続編を予感させるものですが、
そのあかつきには、脚本は浜田秀哉さんをメインにすることを強く希望します。


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三本木農業高校、馬術部 [映画レビュー]

三本木農業高校、馬術部 ~盲目の馬と少女の実話~ [DVD]

[ DVD ]
三本木農業高校、馬術部 ~盲目の馬と少女の実話~
( バンダイビジュアル / ASIN:B001RBSQPW )

『三本木農業高校、馬術部』
(2008年 東映 117分)
監督:佐々部清 脚本:岡田茂、佐々部清 出演:長渕文音、柳葉敏郎、黒谷友香、松方弘樹
          Official Wikipedia / Kinejun          

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(左から、佐々部清監督、黒谷友香さん、長渕文音さん、柳葉敏郎さん)

実話を題材とした映画とはこうやって作るものであるというお手本のような作品です。『余命1ヶ月の花嫁』のレビューにおいて、実話を取材した映画の存在意義について触れましたが、この種の映画では、物語をあくまでも「フィクション」として作り込む作業が重要で、製作者には明確な「テーマ性の付与」が要求されます。本作のテーマは、副題の「盲目の馬と少女の実話」に集約されており、主人公の高校生・菊池香苗(長渕文音)が盲目の馬・タカラコスモスとのふれあいを通じて成長していく姿をリアルに追いかける青春物語ということになります。

天使の恋』のレビューにおいて、お芝居の経験がない人間を主役に抜擢することの無謀さを糾弾したばかりですが、本作を見てしまえばそれも撤回しなければなりません。歌手の長渕剛さんと女優の志穂美悦子さんを両親に持つ長渕文音ちゃんは、本作がデビュー作となりますが、この作品はむしろお芝居未経験の彼女でなければ成立しなかったとまで言えてしまうと思います。経験値がないゆえに、彼女の表現力は純粋にこの役のために存在しており、その計算が存在する余地がないお芝居は極めて純度が高いものだったと思います。製作者がこのキャスティングで狙ったのはまさにそのような効果であり、「実話」という本作の肝とも言うべき要素は、彼女の女優としての成長と役柄の精神的成長のシンクロによって成立しています。

地方を舞台とした作品を多く手がけている佐々部清監督は、作品に「地方色」を巧みに盛り込んで、物語に独特の情感を刻み込んでいくのがとても上手な監督です。今回は東北は青森が舞台でしたが、本作における「地方色」とは、表面的には東北弁や八甲田の山並みなどの自然描写ということになりますが、目に見えない部分ではそこに生きる人々が持つ東北地方独特の「ゆったりとした大らかさ」を表現することが重要だったと思います。私も東北育ちですが、地方と都会の決定的な違いは「時間の流れ方」で、そのことは日々の生活の中に存在する「余裕」の大きさと言い換えることができます。そのような「余裕」は、「時間的」な面でも、そこに生きる人々の「精神的」な面でも、四季を通して主人公を中心とする高校生の成長を描写するという「余裕」のある撮影手法でしか表現できなかったと思います。今回はそのような「地方色」という視点で主人公の成長についての表現を掘り下げてみたいと思います。

菊池香苗は、馬術部の同級生・岡村賢治(奥村知史)と掴み合いのケンカを繰り広げますが、岡村がパートナーを事故で失って馬術部を辞めてしまうと、惜しみない同情の念を抱くようになります。学期末に帰省する二人が駅で遭遇するシーンでは香苗のそのような種類の感情が巧みに表現されています。気まずいだけの岡村に対して、香苗は屈託のない笑顔で話しかけます。「ムリして話しかけなくていいよ」という岡村の言葉に反して、香苗の表情には「ムリ」のかけらも存在しないところに香苗の純粋な優しさが現れています。大喧嘩をしてもそれを根に持たないところが「大らかさ」であり、そのような香苗の性格を引き立たせるために岡村が個人主義的で都会的な性格に設定されているのだと思います。

また、そのような香苗の性格についての表現は、物語の根幹に説得力を持たせることにも大きく貢献しています。馬術部の顧問・古賀博(柳葉敏郎)は香苗をタカラコスモスの担当にした理由を「強いて言えば気が強いから」と説明していますが、その気の強さが「優しさ」と表裏一体のものであることを最初から見抜いていたのだと思います。そもそも香苗の気の強さが端的に表れた岡村とのケンカの発端は、香苗がタカラコスモスをかばってのものだったし、一時は反目した岡村の馬術部復帰を香苗が気持ちよく迎え入れた瞬間は、香苗の精神的な成長を強く印象付けるシーンとなっていて、終盤、そのような香苗の成長がタカラコスモスの心を開いていくという展開はとても自然な流れです。タカラコスモスの心を開かせたのは、紛れもなく香苗のゆったりとした大らかな性格であり、それは本編が丹念に表現してきた「地方色」の象徴とも言えるものです。

そして、そんな香苗の性格が育まれた環境がしっかりと盛り込まれているところが、物語の根幹となる描写をさらに強固なものにしています。私は佐々部監督の『チルソクの夏』における家族の描写が強く印象に残っていて、主人公が父親にギターをプレゼントするシーンが大好きなのですが、本作においても主人公の家族の描写に佐々部監督独特の「家族愛」の表現を見出すことができます。帰省した香苗に対して父親(吹越満)は、娘が学校で危険な馬を扱っていることを「自分で選んだ道だ」と突き放しますが、それをフォローする母親(原日出子)と、実は誰よりも娘を心配している父親という描き方は、家族の本質を突くものだし、そんな両親の想いを香苗がしっかりと理解しているところが「家族の絆」ということになります。

「写真見てくれた?」
「ああ・・・」
「おやすみ」
「おやすみ・・・」

父娘の会話はこれだけです。それでも家族のつながりが伝わってくるところが巧みな演出であり、香苗の性格形成に大きな影響を与えたに違いない家族の描写が盛り込まれることによって物語の根幹にさらなる説得力が付与されています。

さて、「実話」という要素を強調するに当たっては、四季を通して高校生のリアルな成長を追いかける撮影手法が大変効果的に働いているし、なんといっても「ホンモノ」の馬の出産シーンを盛り込むことにこだわった製作者には敬服するところです。それらは本作演出のメインとなる部分ですが、このレビューではそのあたりをもう少し掘り下げて、主人公を中心とする普通の高校生の「日常」にリアリティを付与する瑣末なエピソードと演出に注目してみたいと思います。

日常表現として強く印象に残っているのが香苗と森陽子(森田彩華)が帰省のために寮を出るシーンです。冬休みの間のしばしの別れを惜しむあいさつがとても自然で、完全に雰囲気を見せるためのシーンとなっています。このシーンはメインのストーリーとは「まったく」関係がなく、日常表現に特化したシーンであり、このようなシーンを明確な意図をもってしっかりと盛り込んでいく映画というのはちょっと珍しいと思います。

「年賀状ちゃんと送ってよ。くじ付きだよ」

こういう台詞を書ける脚本家を尊敬します。製作者がこのシーンに込めた意図は高校生活における「日常」のリアリティを表現することにあったのは間違いありません。

また、そのような「日常」のリアリティはキャラクター表現の細部にも多分に見出すことができます。たとえば、古賀先生のポットの使い方とか、「いつも食べている」後輩の高橋守(小林裕吉)とか、先輩の園田帆乃夏(西原亜希)が香苗に「内緒だよ」と言いながらキャンディを差し出すところとか、キャラクターのリアルな存在感というものはこのような瑣末なエピソードと演出の積み重ねの上に成立してこそ説得力が生まれてくるものです。特に古賀先生を演じた柳葉敏郎さんはそのキャリアの中でも屈指のハマリ役で、「フィクションとしての実話表現」に大きく貢献していたと思いますが、まったく賞レースにお呼びがかからなかったのが不思議でなりません。作品そのものの評価にも同じことが言えます。

本作は、きわめて「リアルなフィクション」によって本作が強調している「実話」という要素を我々に強く意識させることに成功した秀作です。見るたびに新しい発見があって、レビューし甲斐のある作品でした。

関連記事:夕凪の街 桜の国(2010-01-14)
チルソクの夏(2009-09-09)

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 
★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★

(追記)
レンタルDVDにもメイキングが収録されていました。この映画は製作過程も含めてひとつの作品と言えるかもしれません。必見ですよ!


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(6)月の恋人 ~Moon Lovers~ [ドラマレビュー]

『月の恋人 ~Moon Lovers~』
第6回

(2010年 フジテレビ 放送回数未定)
演出:石井祐介 脚本:浅野妙子 出演:木村拓哉、篠原涼子、リン・チーリン、松田翔太、北川景子
          Official Wikipedia / TV Drama DB          

第6回視聴率、13.4%。
「サッカーワールドカップ(オランダ×デンマーク)」の影響だけではないような・・・
前回から視聴率が4.0ポイントも下落したということは、
今回から見るのをやめた人がそれだけ存在するということで、
ワールドカップは、このドラマを見るのを止める「いいきっかけ」になってしまったかもしれません。
ムリして見てた人、結構いたと思うので・・・(^^;
来週は放送休止で、1週空いてしまうのもかなりのマイナス要素で、下落に歯止めがかからない可能性もあります

主人公が窮地に追い込まれるという展開の今回ですが、どう考えても主人公の「身から出た錆」であり、
これまでも再三触れてきた杜撰な描写が連発した会社経営のパートがこのための伏線だったとすれば、
至極納得がいくところではありますが、そのあたりは極めて稚拙なドラマの作り方だったという思いに変わりはありません。

事故製品を生産した上海工場の人件費を削る一方、自分はホテル住まいというご身分で、
今回の不祥事をもってして、なおも経営責任者がその地位に納まっているとは、厚顔無恥もいいところです。
次回はいよいよ解任されるようですが、自分で幕引きもできないところに
結局最後まで主人公の経営者としての「極貧の資質」と「ダサさ」のみが印象に残ってしまいました。
いっけいさんが辞表を提出したときに「私が辞めます!」と言えたら、これまでの経緯はすべてチャラだったんですけどね。

さて今回は何の脈絡もなく突如として主人公の母親(倍賞美津子)が登場しましたが、
ストーリー上はシュウメイを紹介するためということになっています。
しかし実際には二人が顔を合わせることはなく、私は今後も二人に接点は生まれないのではないかと考えています。
今回の主人公の母親の登場が意味するところは、主人公との関係でシュウメイに遅れをとっている真絵美の存在を
一躍有力な主人公の恋人候補に引き上げる役割を果たしているような気がしています。

上京してきた母親を真絵美が迎えにいきますが、
私はレゴリスのショールームでの二人の何気ない会話からちょっと深読みをしてみました。
母親がダブルベッドを見つけて、

「ひとりじゃもったいないかな?」
「そんなことないですよ、こういうベッドはね、ひとりでも気持ちいいんですよ」

これは二人が「ダブルベッドをひとりでも平気で使用できてしまう」という特殊な価値観を共有していることを表現していて、
演出的にもベッドに並んで腰掛ける二人を正面から捉えてズームインしていくショットには、
「二人の相似」という意味合いが込められていたと思います。
もっというと、二人の衣裳が「ゆったりとしたインナーに、シャツを羽織って腕まくり、パンツルックに肩掛けかばん」という
よく似たタイプのものだったところにも、この二人についての確信犯的な演出を垣間見ました。
いわゆる「馬が合う」というこの二人の関係性は、今後の主人公と真絵美の関係に重要な影響を及ぼしそうです。

また、今回は主人公の「オレは生き方を変えられない」という台詞が強く印象に残りましたが、
このことが主人公の過去とつながっていることは間違いなく、おそらく母親がキーパーソンとなって来るでしょう。
なぜ主人公は「生き方を変えられない」のか、
このドラマにおける主人公のアイデンティティ(存在価値)を決定付ける重要事項ですので、
視聴者としてはそれなりの理由を要求するし、注視していきたいところです。

それと、今回はシュウメイが帰国してしまいましたが、
次回予告にまったくシュウメイが登場しなかったのは、どいういうこと?
次回以降は一転して、主人公と真絵美を急接近させようという製作者の意図が見えます。

来週は「サッカーワールドカップ」のため放送休止です。
次回(6月28日)の視聴率予想、14.0%。

(追記)
「ワールドカップサッカー・オランダ×デンマーク」(NHK)の視聴率は、前半が、17.8%、後半が、21.3%でした。
「ワールドカップサッカー・日本×カメルーン」(NHK)の視聴率は、前半が、44.7%、後半が、45.2%でした。

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