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余命1ヶ月の花嫁 [映画レビュー]

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『余命1ヶ月の花嫁』
(2009年 東宝 129分)
監督:廣木隆一 脚本:斉藤ひろし 主演:榮倉奈々、瑛太
          Official / Wikipedia / Kinejun          

実話を映画化するにあたっては、あくまでも「映画=フィクション」として捉えて、物語を作りこんでいく作業が欠かせないものだと思います。その考え方が希薄だと、それはもはや「映画」ではなく、ただ実話をなぞっただけの映像であり、それすなわち「ドキュメンタリー」ということになります。両者の差異を簡素化して表現すれば、「テーマ性の有無」だと思います。言うまでもなく映画というものは、制作者が意図したテーマを表現するためのツールでなければならないし、逆にドキュメンタリーというものは制作の意図が介在した時点で、そのジャンルを異にしてしまうわけで、両者は対極にある映像表現と言えると思います。したがって、実話を映画化するにあたって核となる作業とは、「テーマ性の付与」ということになってくると思いますが、残念ながら本作には、製作者がその作業に真摯に取り組んだ形跡が見られませんでした。

本作においては、本編が題材とした実話を記録したドキュメンタリー番組(ニュース番組の特集報道)が存在している以上、テーマ性を欠いた「見せかけの映画」の存在価値は、少なくとも映像表現という観点から言えば皆無であると思われます。それでも本作が存在できているのは、興行的な観点からのものであり、その意味であえて言ってしまえば、本作はテレビ局が「金もうけ」のために飛びついた企画であって、そこになんらかの主義主張を盛り込むという発想は端(はな)から希薄だったのかもしれません。

そのような大前提で本作をレビューすると、「暴力」の意味付けを放棄していると断じた『ドロップ』(2009年 角川映画)以来の酷評とならざるを得ません。冒頭で「フィクションとしての映画」という考え方に触れましたが、本作の序盤においては、赤須太郎(瑛太)と長島千恵(榮倉奈々)の出会いのシーンや屋久島のシーンに代表されるように、フィクションとしてのドラマ表現は、映画というジャンルの資格を十分に備えたものだったと思います。しかし、その印象は、千恵が入院して本格的な闘病生活に入ると一気にトーンダウンしてしまいます。

千恵のがんが再発して以降、病室のシーンを中心として物語が展開していくのは仕方ないとは言え、絵変わりがしないというのは退屈この上なく、観客の気持ちを途切れさせない工夫が足りなかったように思われます。抗がん剤の副作用による脱毛とか、麻薬パッチによる痛み止めとか、告知をめぐる家族の葛藤などといったものは、この種の闘病物語ではやりつくされたエピソードであり、目新しさを欠いていました。それでも、だらだらとした闘病生活の描写が続く中、本作が企画される端緒となったテレビ取材のシーンというのは、新鮮さという意味では十分だったし、物語の新展開を予感させるものでした。しかし、私の期待とは裏腹にテレビ取材が千恵と太郎二人の問題に矮小化されて描かれていたことに私は大きな失望感を抱いてしまいました。

本作が名実ともに映画として存在するためには、テーマ性の具現化が不可欠であると書きましたが、千恵がテレビ取材を通じて若年女性の乳がんを啓発しようとする強い意志というものは、本作のテーマとするには十分すぎるほどの価値があったと思うし、千恵さん御本人の「遺志」というものを制作者が真に理解しているのであれば、当然、そのことを中心に物語を展開するべきだったと思いますがいかがでしょうか。

終盤にテレビ取材のシーンが登場したときには、絵変わりしない病室のシーンであっても、だらだらとした闘病生活の描写からの開放感を感じたし、記者役の俳優さんが実力のある津田寛治さんだったところにも、私の期待感は否が応にも高まってしまいました。しかし、次のシーンで千恵が自分の意思を語ったものの、太郎がそのことをすぐに現実的な問題に引き戻してしまい、結局これ以降千恵のテレビ取材に対する気持ちが膨らむことはありませんでした。津田寛治さん演じる記者に至ってはこのシーンとラストに千恵のビデオメッセージを太郎に手渡すシーンに登場するのみという扱いであり、制作者は「千恵さんが辛い闘病生活の中であえてテレビ取材を受けたという事実」を瑣末なエピソードのひとつとして取り扱ってしまっています。

さらに、本作の脚本が悪質なところは、終盤のクライマックスシーンに生前の千恵のビデオメッセージを見て太郎が涙を流すシーンを持ってきているところです。千恵がテレビ取材を受けた真意が「まったく」膨らまなかった以上、千恵が受けたテレビ取材のシーンというのは、「純粋に」このシーンに直結しており、見方によっては千恵はこれをやりたくてテレビ取材を受けたのではないかとすら思えてきてしまいます。もちろん実際にはそんなはずはないわけで、この映画の作り手は「涙」を獲るために、最重要の事実を歪曲して描写するという、実話を基にした映画としては最低の仕業に出てしまっています。

冒頭に書いた「フィクションとしての映画」という考え方からすれば、事実のデフォルメは映画としては当然許される手法ですが、本作の場合、千恵さん御本人の遺志というものは制作者が最も真摯に向き合わなければならない事実であり、そのことを選りによって「涙」のために利用するという制作者の姿勢には疑問を感じずにはいられません。

Dear Friends』(2007年 東映)のレビューで、病気を題材とした映画のテーマに基づいた分類を試みましたが、本作は「病気が感動のために存在する作品」であることは間違いありませんが、この種の映画としては、実話を感動のために歪曲したという意味で、『恋空』(2007年 東宝)と並ぶ悪質な作品であると断じることができると思います。

奇しくもどちらもTBS製作・・・。

総合評価 ☆☆☆☆
 物語 ☆☆☆☆☆(本ブログ始まって以来、初の無星。これは悪質な脚本である。)
 配役 ★★★☆☆
 演出 ★★★☆☆
 映像 ★★★☆☆
 音楽 ★★★☆☆

廣木隆一監督の演出については是非触れておきたいところでしたが、この作品で取り上げるのはちょっと不本意なので断念することにしました。


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