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孤高のメス [映画レビュー]

孤高のメス [DVD]

[ DVD ]
孤高のメス
( TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) / ASIN:B0041I4K3A )

『 孤高のメス 』
( 2010年 東映 126分 )
監督:成島出 脚本:加藤正人 出演:堤真一、夏川結衣、余貴美子、成宮寛貴、柄本明
          Official Wikipedia / Kinejun          


   【 孤高 】<名・形動(ナ・ノ)>
   俗世間から離れて、ひとり自らの志を守ること。また、そのさま。 (大辞泉 第1版より)

本作の作り手がこの映画のタイトルにこの単語を使用したことをまずは賞賛したいと思います。本作のテーマはこの言葉にきれいに集約されており、ひとりの外科医が医療や患者と向き合う姿勢を表現した言葉がこの「孤高」ということになります。本作の成功は、本編を通じてこの言葉の意味を的確に表現していくことに懸かっていたと思います。そして、そのことは主人公の外科医・当麻鉄彦(堤真一)の医師としてのポリシーや生き方を通して描かれているのは言うまでもありませんが、彼の存在がその周囲にもたらした影響にまで言及することによって、さらに明確に「孤高」という言葉が意味するところを表現しているところが、この映画を秀作たらしめていると思います。

本作の見所のひとつがリアルな手術シーンであることは、この映画の売り文句や前評判からも存じ上げていましたが、実際に観た感想としてもそれは確かに実感しているところです。ただし、その表現方法については、私は意外性をもって受け止めています。観る前の印象として「リアルな手術シーン」と聞いて多くの方が直感的に思い浮かべるのは、専門用語が飛び交うようなシリアスな手術室で、一刻一秒を争うような緊迫感あふれる場面、ということになると思います。これらは近年隆盛している医療ドラマが表現上重視していると考えられる要素であり、我々の潜在意識にいつの間にか植え付けられてしまっている「手術」というものに対する先入観は確実に存在しているのかもしれません。もちろん本作においてもそのような手術の側面が一要素として盛り込まれていたのも間違いありませんが、それをもって「リアル」としていないところが私が「意外性」と評した部分です。

それでは本作における手術シーンのリアリティがどうやって成立しているのかというと、私はその大前提として主人公をはじめとした医療従事者のリアルな存在感は不可欠だったと考えています。つまり、彼らがどういう心構えで手術に臨んでいるのかということを描かずして、手術シーンで彼らが駆使している専門用語や技術に登場人物の息遣いといったものは吹き込まれなかったと思います。そのような登場人物のリアルな存在感を表現するシーンとして最初に組み込まれているのが、看護師の中村浪子(夏川結衣)が滅菌した手術器具を乱暴に扱うシーンで、ここには仕事の現状に対する彼女の気持ちやストレスといったものが端的に現れています。仕事に対するモチベーションがそのまま仕事ぶりに現れてしまうということは、あらゆる職業において日常的にありうる風景であり、いきなりオペ看という仕事の負の側面を見せることによって、彼女のリアルな存在感を提示しています。

そして、そのような浪子の負の気持ちが当麻鉄彦との出会いによってまったく別のものへ変化していくとところがこの物語のひとつの側面だと思います。このシーンで浪子は、当麻に乱暴な器具の扱い方を指摘されて、仕事に対する負の気持ちと当麻に対する第一印象を重ねてしまいます。しかし、浪子はその後の手術シーンで、当麻の卓越した技術と患者を救いたいという情熱を目の当たりにして、それまでの仕事に対する負の気持ちを一気に真逆のものへ転換させてしまうのです。このあたりの浪子の心情の変化が、手術シーンの中で大変巧みに表現されていて、浪子のみならず、観る者の気持ちまでも、ひとつのピークに到達させてしまいます。

この手術シーンにおける浪子の台詞はほぼ「はい」だけです。当麻に最初のメスを渡すときの「はい」は、仕事へのモチベーションとともに当麻という人物に対する怪訝さが込められています。しかし、浪子は当麻の鮮やかな手さばきと冷静沈着な姿に目を奪われ、いつの間にか彼の素早いオペレーションに対応できなくなっていきます。そして、浪子の「はい」のトーンは次第に焦りの色を帯びていき、同じ言葉なのに最初の「はい」とはまったく別の響きに変わっていくのです。このシーンは、本作のストーリーの根幹を成していく「手術」というものがいかなるものなのかを表現する大変重要なシーンであり、ただ専門用語を聞かせたり、外科医の技術を見せるのではなくて、浪子の目を通して、当麻が手術に向き合う姿勢とその技術の本質を観客に見せることによって、当麻という外科医にリアルな存在感を付与しています。

これがテレビドラマなら誰かに「スゴイ」と言わせてしまうところですが、そんなことを言う余裕もないところに手術に臨む人たちのリアルな緊迫感が表われています。そして、これを浪子の「はい」という台詞のみで表現しようとしたこの脚本も素晴らしいし、なにより表現者である夏川結衣さんのお芝居を賞賛しなければなりません。ただ単に「天才外科医」で説明してしまうような医療ドラマが多い中、漠然とではありますが、当麻の技術に「天才」以外の裏づけを見出すことができるところが、本作の手術シーンのリアリティということになるのではないでしょうか。

さらに、当麻が卓越した技術を持つ外科医であることに説得力を持たせるためには、医療や患者さんに対する彼のポリシーに言及するほか、彼の「人間らしさ」を描写する必要があったと思います。フジテレビのドラマ『救命病棟24時』の主人公・進藤が第4シリーズにして「ピーマンが嫌い」であることが描写されたときには、いまさら何をやり始めたのかと思いましたが、それまで強行してきた、いまひとつ裏づけの欠ける「主人公の技術」のみで物語を牽引していくのが困難になったのだと思います。このことはシリーズの行き詰まりを象徴していたような気がしています。

本作では序盤の手術シーンの直後に、早々に当麻の人物像にはっきりと言及するシーンを盛り込んでおり、このシーンひとつで当麻という人物に外科医としてのリアルな存在感を付与することに成功しています。これは、大川市長(柄本明)の娘・翔子(中越典子)とのお見合いのシーンのことで、当麻のオペ技術をおだてる市長と島田院長(平田満)に対して、当麻は手術というものに対するポリシーを訥々と語りだします。手術は決して華やかなものではなく、一つ一つの作業をこつこつとやる、例えるなら「演歌」のようなものだと語る当麻の態度は、およそ既成の医療ドラマでは見たことがなかった性質のものであり、直前の手術シーンにおいて当麻のバックボーンに存在していたポリシーというものを知ることができます。そして、それに続く当麻の人間描写は、実に秀逸でした。

まず、このシーンにおける当麻は、ほとんど市長親子と目を合わすことなく、終始パンをつまみながら語っており、この場を取り持った院長からは、単に市長と会食するという名目で連れて来られたことがうかがえます。お見合いという状況をはっきりと認識している翔子が、「演歌!?意外ですね!」とちょっと大げさに驚いて見せますが、これに対して当麻は見事に無反応であり、女に媚びてこなかった彼の生き方を想像させます。実際、市長がお見合いという本来の目的を切り出しても、当麻はまったく空気を読みません。このシーン、というよりも物語全体を通じて大川市長は「俗物」を象徴する登場人物のひとりであり、当麻と市長の会話がまったく噛み合わないところに、当麻の「孤高ぶり」を見出すことができるわけです。

このシーンは当麻の人となりを表現する目的を帯びているにもかかわらず、当麻の顔寄りのショットはほとんど存在せず、彼に語りかけ、彼を見つめる他の3人の表情が当麻という人物を語っています。このシーンでは、堤真一さんはもちろんのこと、4人の登場人物がそれぞれ大変濃密なお芝居を見せてくれているわけですが、特に翔子を演じる中越典子ちゃんが当麻の言動に対して見せる表情のリアクションが素晴らしくて、彼女のメリハリのある、それでいて押し付けがましくないお芝居にはぜひ注目していただきたいところです。翔子が当麻にこれがお見合いであることを告げますが、「どなたとどなたが?」という当麻の台詞は、このシーンのまとめとしては秀逸であり、まさに「孤高」が意味するところの「俗世間から離れて」という部分をこのシーンのみでほとんど表現しきっていると思います。

さて、先にも触れたように、当麻の「孤高」の人となりに触れた中村浪子が、自らの仕事に対する考え方や生き方を変えていくところがこの物語のひとつの根幹をなしており、そのことを印象付ける描写もまた手術シーンに巧みに織り込まれていたと思います。私は浪子の心情の変化を印象付ける描写とは、「最初のメスを渡すまでと最後のクーパーを渡した後」に集約されていると考えています。

医療従事者のリアルな存在感によって手術シーンにリアリティが付与されているということはすでに述べましたが、ビジュアル的には術前の準備の様子が盛り込まれているところに私は新鮮さを感じました。当麻の手による最初の手術シーンでは、浪子が器具類を準備する様子が広い絵で捉えられており、浪子が当麻に手術ガウンを手渡す様子も描写されます。当麻がガウンを着る様子は、その後の手術シーンでも何度となく描写されるルーティーンワークであり、手術そのものよりもまずは術前準備をする医師と看護師たちを見ることによって、その後の手術シーンに説得力をもたらしていると思います。

一方で、この最初の手術シーンにおける浪子の心情としては、彼女自身が「今日はツいてない」と述べているとおり、当麻への怪訝さで満ちており、準備をする動きにもまた「いつものように手術をするだけ」という消極さが読み取れます。そして、そのような消極さが、浪子が当麻に最初のメスを手渡すときに発した「はい」という台詞で端的に表現されているということにはすでに言及しました。そして、このときの浪子の心情が最終的にどのような性質のものに変化していったのかが表現されているのが、終盤の肝移植手術で、浪子が当麻に最後のクーパーを渡した後だったと思います。最後の手術が終了した後も、その片付けをする医師と看護師たちが広い絵で描写されています。

「あんなにオペが嫌いだった私が、こんな大手術のスタッフになれた。私は夢の中にいるようだった」

浪子が感じた自らの仕事に対するこの充実感は、当麻に出会う以前は絶対にありえなかった、想像もできなかった性質の感慨であり、浪子の仕事及び人生においてひとつの到達点となるものです。 しかし、浪子は同時にこれが当麻に渡す最後のクーパーだったことに思いを巡らせます。

「ありがとう。見事だったよ」

当麻がガウンを脱ぎながら、こともなげにこの言葉を言うところは彼らしいところで、これまで描写されてきた彼の人となりを思えば、こんなに重みのある褒め言葉はなく、実際、浪子は自分の仕事の到達点をこの当麻の言葉をもって実感するのです。このとき、浪子はまだ口にマスクを当てており、夏川結衣さんはほとんど目のお芝居のみで、当麻の褒め言葉に対する浪子の複雑な心情を見事に表現しています。絵的には術後ということもあるし、マスクを外した状態でこの表情を押さえてもおかしくはないところですが、あえて目のみで表現しようとしているところに、監督の女優さんに対する信頼が垣間見えます。

当麻が病院を去る日、当麻が乗った車を見送りながら、浪子は大事なことを忘れていることに気が付きます。当麻への感謝の言葉・・・。当麻と出会い、当麻と仕事をすることで生まれ、成長してきたその思いは、浪子が今まで言葉として発したことがなかったものです。

「私、本当は都はるみが好きなんです、好きになったんです!」

感謝の気持ちとともに発せられたこの言葉は、浪子が当麻と出会うことで変化した価値観をもっともわかりやすく表現していて、当麻ともっと一緒に仕事をしていたかったという彼女の素直な気持ちが込もった素晴らしい台詞だと思います。

「君は、素晴らしいナースでした」

浪子が日記に書き残していたのは、その後の浪子が、この当麻からもらった最後の言葉を拠り所として仕事に向き合い、息子を育ててきたということです。冒頭で中村弘平(成宮寛貴)が母の人生を振り返ったとき、貧乏くじを引かされていたと表現しましたが、日記を読み終わる頃には母が自分の仕事に誇りと志をもって、その生き方に信念をもって自分を育ててくれたということを彼は初めて知るのです。ここで言う浪子の人生における信念もまた「孤高」という言葉で表現できると思えるところが、本作のテーマ表現が優れているところだと思います。当麻の「孤高の信念」が浪子の生き方に影響を与え、今度は息子につながっていく。ひとりの医師の信念がみんなをつなげている。素晴らしいまとめだと思います。

このレビューでは手術シーンを中心に本作のテーマ表現を掘り下げて見ましたが、もちろん手術シーン以外のところでも巧みなテーマ表現が随所でなされていて、最初のメスを渡すまでと最後のクーパーを渡した後の中間に存在する浪子の心情描写も大変奥が深いものがあります。本作は一つ一つのシーンに作り手の明確な意図が存在していて、それぞれのシーンを丹念に掘り下げる作業はとても楽しいと思います。噛めば噛むほど味が出る、繰り返しの鑑賞に堪える高いクオリティ有している作品であり、「孤高」というキーワードを念頭に置いて鑑賞すると、本作が試みているテーマ表現の手法がきわめてレベルの高いものであることがよくわかるはずです。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★

(参考リンク)
「成島出監督~映画への熱い思い~」
http://www.toei.co.jp/meister/vol11/detail/01.html


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コメント 1

やまなし映画祭実行委員会です。

突然失礼します。ブログ拝見いたしました。成島出監督出席のイベントの告知をさせて下さい。

『孤高のメス』やまなし映画祭で上映決定!前売りチケット発売中!!

2011年 3月18日(金)、19日(土)、20日(日)、26日(土)に、山梨県 甲府市で開催される「やまなし映画祭」で、『孤高のメス』が上映されることになりました!!あの感動がスクリーンでもう一度よみがえります!!

日時:2011年3月26日(土) 16:00~
会場:山梨県 甲府市 甲宝シネマ(住所:甲府市中央1-3-7)
ゲスト:成島 出(監督)
 司会:鈴木 春花(UTYテレビ山梨アナウンサー)
チケット:前売り券 1,000円  e+(イープラス)にて発売中!

■やまなし映画祭詳細、上映映画情報は公式HPへアクセス!!
http://www.yamanashi-ff.net/

■チケット購入はe+(イープラス)とFamiポートで購入可能!!
e+(イープラス)で購入の方 →http://eplus.jp/ (PC、携帯)
Famiポートで購入の方   →ファミリーマート店舗設置のFamiポートを操作




by やまなし映画祭実行委員会です。 (2011-02-20 00:24) 

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