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最後の忠臣蔵 (下) [映画レビュー]

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(C)2010「最後の忠臣蔵」製作委員会
最後の忠臣蔵 Blu-ray & DVDセット豪華版【特典映像ディスク & 解説ブックレット付き】 (初回限定生産)最後の忠臣蔵 [DVD]

[ DVD ]
最後の忠臣蔵

( ワーナー・ホーム・ビデオ / ASIN:B004FGLVU8 )

『 最後の忠臣蔵 』
( 2010年 ワーナー・ブラザーズ 133分 )
監督:杉田成道 脚本:田中陽造 出演:役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、安田成美、片岡仁左衛門
          Official Wikipedia / KINENOTE          

最後の忠臣蔵 (上)

本作のテーマ表現のもうひとつの核となる「武士の生き様」についての描写もまた「美しさ」を伴って表現されていたということになると思います。『必死剣 鳥刺し』(2010年 東映)における「武士の生き様」は、そのレビューでも書いたとおり、ラストシーンの壮絶な殺陣に代表される「剣」によって表現されており、さらに主人公の死をもってひとりの武士の生き様を鮮烈に表現していました。それに対して本作では、吉良邸討ち入り後の16年間、瀬尾孫左衛門(役所広司)と寺坂吉右衛門(佐藤浩市)が一貫してぶれることなく体現してきた忠義心の純粋さこそが「武士の生き様」ということになると思います。いわば『必死剣 鳥刺し』の「動」に対して、本作のテーマ表現は「静」であり、前回も述べたとおり、これは表現方法としては決して易しかったわけではないと思います。

< ----- 以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。----- >  

まず、そのような表現の中で決して派手ではありませんが大変重要なのが、とても近いところで瀬尾孫左衛門を見つめる二人の女性の視点ということになると思います。ひとりは可音(桜庭ななみ)、もうひとりは可音と孫左衛門の姿を一番近いところで見守っていたゆう(安田成美)で、この二人の孫左衛門に対する共通の想いというものが、共通の観念で絶たれていくというところに、武士という人生の不可避な宿命を見出すことができます。可音は、孫左衛門に対する特別な感情を率直にぶつけますが、それが叶わぬことだと悟ります。

「武士の心の中に女子は住めぬ・・・うち、それを忘れてました・・・」

可音の想いは、この「武士」という一言によって絶たれていくのです。また、ゆうは孫左衛門の武士としての宿命を十分に理解した上で、あえて残された人生を共に生きたいと願います。しかし、やはり孫左衛門は自らの宿命から目をそらすことはありませんでした。自分の願いが受け入れてもらえないことを知ったとき、ゆうは孫左衛門に握られた手を自ら引くのです。二人がその身を引くときに「孫左衛門が武士である」という一事で得心してしまうところに、当時の社会における武士という存在に対する普遍的な観念がよく現れており、二人の女性の目を通して武士であることの意味、武士に生まれたことの宿命といったものを間接的に切り取ることに成功しています

一方で、武士であることの意味を直接的に表現しているものは、言うまでもなく瀬尾孫左衛門と寺坂吉右衛門が大石内蔵助(片岡仁左衛門)から課せられた使命そのものということになるでしょう。寺坂は生きて真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助する。瀬尾は生きて可留と可音の親子を援助する。この二つの使命が果たされたとき、二人が生きて為したことが「大石への恩義」という目に見える形で報われていくというクライマックスは、確実に二人の武士の生き様と日本人の核心を表現するものだったと思います。

ワーナー・ブラザーズが製作した『ラストサムライ』(2004年)のクライマックスで、渡辺謙さん演じる・勝元がその最期を迎える瞬間に選りによって英語で"Perfect...”と言ってしまったのは、冷静に振り返れば失笑ものであり、やはり欧米人が日本人の本質を正確に切り取るのはまだまだ困難な作業であることを確認しました。もちろん『ラストサムライ』とは違って本作のスタッフはほとんどが日本人ということになるわけですが、そもそもこの原作の映画化に挑戦したのがアメリカの映画会社であるということ自体に、私は欧米人の日本人に対する理解もついにここまで来たかという感慨を持っています。

前回も触れたとおり、本編の随所に挿入されている人形浄瑠璃が本作の結末を暗示しているとすれば、こんなに切なく遣る瀬のない演出はありません。瀬尾孫左衛門の武士としての宿命はどうあっても不可避なものなのです。そして、孫左衛門が大石と可留の仏前で腹を切るシーンは、彼の武士としての生き方を完成させるものです。畳を返した狭く暗い仏間で、短刀の切っ先を腹に押し当てる孫左衛門の姿態と決して苦痛を表に出そうとしない凛とした表情は、まさに「静」、派手さといったものが微塵もない中に独特の「美しさ」を見出すことができます。私はこれは究極の「日本の美」の表現だと思っています。

そこに駆けつけた寺坂がすでに腹を切っている孫左衛門の姿を目の当たりにして介錯を申し出るのは当然のことでしょう。

「介錯、無用」

孫左衛門の最期の言葉はこれです。孫左衛門は自ら首に刀を当てて果てるのです。私に言わせればこれこそ「パーフェクト」。これは時代劇史上、もっともリアルで、もっとも美しい切腹シーンだったと思います。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ 

本作の演出が殺陣や所作といった日本的様式を見せる作業を潔く捨て去っていて、登場人物の内面という一見しただけではわかりにくい「感情」というものを浮き彫りにすることで本作のテーマに近づこうとしているということには前回も触れました。それでは本作がテーマ表現のために用いた手法とは具体的にどのようなものだったのでしょうか。私は、この映画は登場人物の微妙な表情の移り変わりを余すことなく撮ることによって、「日本人の心」を切り取ることに成功したと感じています。

本作が多用している顔寄りのショットは、時代劇、もっと言えば映画のセオリーには反する演出だと思います。しかし、ここまで徹底して登場人物の表情を見せられると、画面上に余計な情報がないだけに我々はそこから何かを読み取る作業を拒むことはできず、むしろいつの間にかその作業に没頭しているのです。俳優さんの表情で見せたシーンをいくつかピックアップしてみたいと思います。

2011011505.jpg可音の輿入れが決定した後、雨が降る中、竹林を進む孫左衛門がその歩みを止めて何かを悟ったような表情をします。このシーンでは、人形浄瑠璃「曽根崎心中」の最後の場面が挿入されており、孫左衛門の頭をよぎったものは紛れもなく自らの宿命でしょう。可音の輿入れは、孫左衛門が大石から授かった使命を果たしたことを意味し、もはや彼が現世で為さねばならないことは大石に殉じることによって自らの忠義を完成させることしかないのです。そして、このときの孫左衛門の心情には使命を果たした達成感もあったでしょう。この表情からは16年を経てついにこのときが訪れたという積年の感慨と自らの死への覚悟を決める強い意志が読み取れます。

そして、そのような本作を象徴する演出が、終盤に満を持して登場する田中邦衛さんのお芝居からはっきりと読み取れるのはとても興味深い事実だと思います。可音が多くの赤穂の旧臣に付き添われて輿入れ先に到着すると、大石内蔵助の右腕だった奥野将監(田中邦衛)が登場し、可音への祝いの言上を述べます。このときもカメラは決して短くはない言上を述べる奥野の表情を切ることなく終始捉えており、田中邦衛さんの繊細かつ丁寧な表情のお芝居を見ることができます。これは大石への恩義を感じるすべての旧赤穂藩士の想いを奥野が代弁するというとても重要なシーンであり、そのきわめて形式的な祝辞に反して多くの人々の様々な想いが伝わってくるのは、杉田演出と邦衛さんのお芝居が織り成す魔法のような力を感じてしまうところです。

最後に私が本編を通じてもっとも印象的で魅力的だと感じた瀬尾孫左衛門の表情を紹介します。

「お幸せに、おなりなさい」

茶屋の屋敷に到着後、振り返って孫左衛門の姿を探す可音に対して、彼は声に出さずに最後の言葉を送ります。このときの孫左衛門は、前段で取り上げた表情とは対照的で、優しさに満ちた穏やかな表情をしています。これは父親のそれに近いがそれとも微妙に異なるもので、純粋に可音の幸せを願う気持ちのみを湛えています。この瞬間が二人にとって今生の決別であることを考えると、「もう何も心配することはない、安心して新しい人生を歩んでいきなさい」という可音に対する孫左衛門のラストメッセージがこの表情のみで語られていたということになると思います。この表情には討ち入り以来16年間、可音に対して絶え間なく与え続けた「慈愛」といったものが完璧に織り込まれていたと言っていいでしょう。

杉田成道監督は、フジテレビで『北の国から』などを手がけたテレビドラマ界の巨匠ともいうべき方ですが、そのジャンルを映画に変えても、また決して短くはないブランクがあったとしても、登場人物の内面と小細工なしで正面から向き合うというスタンスは失われることはありませんでした。本作における杉田演出とは、必ずしも映画演出のセオリーに則(のっと)ったものではないのかもしれませんが、杉田監督が『北の国から』に代表されるドラマ作品以来、一貫して表現してきたものに確実に触れることができると思います。本作をご覧になられた方には、20年近く前に杉田監督が手がけた『ラストソング』(1994年 東宝)も併せてご覧いただきたいと思います。表現のジャンルが映画であろうとドラマであろうと、現代劇であろうと時代劇であろうと、杉田監督が切り取ろうとしているものは変わることはありません。そこに生きる人たちの内なる感情です。

(了)

最後の忠臣蔵 (上)

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★★


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nice! 8

コメント 11

asa

武士の「生き方」の美学を追求した点で、かなり優れた作品だと思いましたね(正直なところ、あまり期待せずに見たのですが)。事前の予想は見事に?裏切られました。
by asa (2011-01-17 23:36) 

kikijyouzu

どうも。観に行きました。マゴザが死んでしまったと知ったら、あの娘だってショックで死んじゃいますよ。
by kikijyouzu (2011-01-18 09:02) 

ジャニスカ

asaさん、はじめまして。nice!とコメントありがとうございました!

私は期待してこの映画を観に行ったのですが、期待を遥かに上まわる出来でした。事前の予想を裏切られたという意味では同じですね(^^)。私はこの映画は近年の時代劇映画の中では最高傑作とまで思うようになっています。
by ジャニスカ (2011-01-18 12:44) 

ジャニスカ

kikijyouzuさん、はじめまして。nice!とコメントありがとうございました!

私は、可音という女性は孫左衛門が命を絶ったことを知っても、ショックだとは思いますが静かにその事実を受け入れたと考えています。なぜなら、孫左衛門は可音を「武家の女性」として育ててきたからです。なおかつ可音は、自分の父親が主君に殉じたあの大石内蔵助であることを誇りとして生きてきた(これからも生きていく)女性ですから、孫左衛門が父親と同様に主君に殉じたことを当然のこととして受け入れられるはずです。そのことがよくわかるのが可音の「武士の中に女子は住めぬ・・・うち、忘れてました・・・堪忍やで、孫左」という台詞だと思います。可音はこの時点で孫左衛門の「武士としての生き様」をはっきりと理解しており、場合によっては孫左衛門が辿らなければならない「宿命」も受け入れなければならないことを覚悟していたと私は解釈しています。可音が孫左衛門に贈った手製の着物も、ゆうに「孫左を頼みます」と託したのも、できるならば孫左衛門を現世に繋ぎ止めておきたいという一縷の想いが表れたものではないでしょうか。「孫左、死んではならぬ!」などと言わないところが当時の武家の女性の奥ゆかしさだと思います。

この映画を現代的価値観で理解しようとするのは無理な話ではないでしょうか。

by ジャニスカ (2011-01-18 12:46) 

kyo

こんばんは。ご訪問&nice!をありがとうございました。
私は言葉を並べてこの映画を論じるような冷静な頭も文才もありませんが、全体を通じて、本当に美しい物語りであり、映像であると感じました。
このように詳しく解説されているのを読んで、改めて映像を思い出して涙が出ました。
by kyo (2011-01-19 21:31) 

ジャニスカ

kyoさん、こちらこそありがとうございます!
私もこの文章を書きながら何度も涙を落としてしまいました。
特に(上)で書いた可音の涙は予告編に盛り込まれていて、何度見ても心揺さぶられます。
孫左衛門の可音との決別のときの表情も涙なくしては思い出せません。
私の文章を読んで同じように感じていただけて本当にうれしかったです。。。(´ー`)
by ジャニスカ (2011-01-19 22:34) 

tsuyopon

はじめまして。

「最後の忠臣蔵」の詳しいコメントを読ましてもらいました。武士としての生き様を知ることができました。ただ、映画としては、可音が嫁入りするまでは涙がでました。とても感動しました。しかし、最後に孫左衛門が切腹する時点で涙が消えました。武士の空しさを感じました。正直、最後は意外な結末でした。
by tsuyopon (2011-02-07 22:06) 

ジャニスカ

そうですね。現代的価値観で言えば、「虚しい」ということになると思います。
でも、当時の武士はそのような生き方に虚しさどころか、「実」を見出していたんだと思います。
孫左衛門が仮にその後も生きることを選択していたとしたら、
むしろその後の人生にこそ「虚しさ」を感じたことでしょう。
武士にとって切腹という行為は、人生に「実」を吹き込む最後の作業なんだと思います。

孫左衛門が可音を残して命を絶ったことを理解できないという方がたくさんいるようですが、
「理解できない」で片付けたらそれで終わりだと思います。
ならば「武士」というものが如何なるものなのかを知ろうとして欲しいです。
重要なのは、これが我々「日本人」の話だということです。我が国に確実に存在した価値観なのです。
我々は、この映画の結末を外国人に対してしっかりと説明できるようになるべきです。

by ジャニスカ (2011-02-09 20:20) 

tsuyopon

ご返事ありがとうがざいました。

たいへん参考になるご意見として受け止めたいと思います。また、いろんな記事を見せてもらいたいと思います。
by tsuyopon (2011-02-13 21:10) 

げん

「最後の忠臣蔵」を観賞して、ジャニスカさんの映画レビューを
読ませていただきました。

言われてみてば確かに「顔寄りのショット」が多かったです。
それが「時代劇、もっと言えば映画のセオリーには反する演出」
だとは知りませんでした。
「そこに生きる人たちの内なる感情」を表現する為なんですね。

自分はこの映画を観て「格好悪さの美しさ」を感じました。
現代にも孫左衛門のように、格好悪くても、そこに使命や意義を
見出して懸命に生きている人々がいるのではないでしょうか。
そういった人々へのエールのようにも思えました。

又々佳い映画を教えていただき、ありがとうございました。
評価が五項目満点だったのですね!
by げん (2011-10-15 22:46) 

ジャニスカ

げんさん、お読みいただきありがとうございました。
偉そうなことを書いていますが、私は映画演出の勉強をしたことがあるわけではないので、
自分で書いていて「じゃあ、セオリーってなんだよ」みたいなところもあるのですが、
観客の立場から見た「映画とはこういうものだ」というポリシーは持っているつもりです。
『岳-ガク-』のレビューで映画とテレビドラマの演出の比較という観点から文章を書いていますので、
こちらはまだDVDは発売されていませんが、ご覧になられましたら読んでみてください。

げんさんが感じた「格好悪さの美しさ」はこの映画のテーマの一端だと思います。
私もそういうことを美徳として生きている方が現代にもおられると信じたいのですが、
現代人の大部分はそんな美徳とは無縁のところで生きていると思います。
私はこの映画が描いたことは「現代人へのエール」というよりも、
「現代に生きる日本人への痛烈なアンチテーゼ」ではないかと考えています。
こちらにコメントを寄せていただいた方々の感想からもわかるように、
この時代に生きていた人たちの価値観をすんなり理解できる日本人は多くはいないと思います。
私はたまたま藤沢周平の時代小説を昔から読んでいたこともあって、
この映画のテーマをすぐに理解できたつもりでいます。
そして、このレビューを通じて多くの人に本作のテーマをしっかりと理解して欲しいと思いました。
味わい深い作品ですので、時間が許せば何度でもご覧いただきたい映画です。

この映画は迷わず満点でした!(^^)
でも、実は5項目満点の映画は他にも結構あって、出し惜しみはしていません。
いいものはいいとしか言えませんから。

by ジャニスカ (2011-10-16 19:55) 

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