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きな子~見習い警察犬の物語~ [映画レビュー]

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(C)2010 「きな子~見習い警察犬の物語~」製作委員会

『きな子~見習い警察犬の物語~』
(2010年 松竹 113分)
監督:小林義則 脚本:浜田秀哉、俵喜都 出演:夏帆、寺脇康文、山本裕典、戸田菜穂
          Official Wikipedia / Kinejun          

フジテレビのドラマ『絶対零度~未解決事件特命捜査』(2010年)でその脚本家としての存在感を印象付けられた浜田秀哉さんの作品を映画で観られることをとても楽しみにしていました。プレビューでも書きましたが、「おまえという未熟な訓練士を育てるためにきな子がおる。きな子という未熟な警察犬を育てるためにおまえがおる」という台詞は作品のテーマと全容を表現しきってしまう本当に素晴らしい台詞です。その一方で、実話をベースにしているとはいえ、終盤にかけてどのようなドラマを盛り込んでいくのかについては脚本家の手腕が試されるところでしたが、実に巧みな構成と伏線によって、見事に物語のクライマックスを劇的に盛り上げることに成功しています。

以前、『サイドカーに犬』(2007年)のレビューで「子役」に対する否定的な見解を述べたことがありますが、子役のお芝居の質についてはさておいて、脚本上のドラマ作りに「子供」を生かすことについては、よっぽど上手くやらないとウソっぽさやご都合主義が鼻に付いたりするものであり、その点で言えば『サイドカーに犬』は大変巧みな脚本だったと言えると思います。本作における子供についての表現がリアリティを欠いている部分があることは認めなければなりませんが、それでも「大人が創作した子供」が持つ嫌味のようなものを感じなかったのは、本作における子供描写の背景に「子供」というものに対する制作者(=脚本担当者)のある確信めいた考え方が存在しているような印象を持ったからかもしれません。今回のレビューはかなりの深読みかつちょっと飛躍したものになるかもしれませんがお付き合いください。

私は本作を観て、この脚本を執筆した人は、ズバリ、アニメ『機動戦士ガンダム』をタイムリーで見た「ガンダム世代」だと思いました。そのことは本作に関するある客観的な事実からも強く確信することにいたっているわけですが、それについてはあまりにもマニアックなので、ここで触れるのは控えておきます。実際、浜田さんも俵さんも70年代生まれであり、少なくとも「その世代」であることは間違いありません。

ガンダムシリーズの主人公が常に「少年」であることは、ガンダムをちゃんと見たことがない方でもなんとなくご存知かと思います。そのことはシリーズを通じた大きなテーマのひとつである「人類の革進」、つまり「ニュータイプ理論」を説明するために不可欠な要素となっています。ガンダムシリーズでは、人間が本来持っている潜在能力を宇宙(そら)に出ることで開花させた鋭敏な感覚(超能力)を有した新人類を「ニュータイプ」と呼んでいます。そのような潜在能力は、ほとんどの人が開花させることなく一生を終えるわけですが、年少であればあるほど、ニュータイプとしての資質を開花させるチャンスは大きくなるという理由で、主人公とその周囲の登場人物の年齢が低く設定されていると私は考えています。また、ガンダムシリーズにおいて主人公よりも年齢がさらに若い登場人物、つまり「子供」が常に登場するのは、そのような要素を強調するためだったと考えられます。

一番わかりやすい例は、ファーストガンダムの最終回ラストシーンで主人公(アムロ)の生還をいち早く察知したのが宇宙戦艦に同乗して大人とともに戦った「子供たち」(カツ・レツ・キッカ)だったという描写の仕方で、これは「普通の子供」でしかなかった彼らが長く宇宙に滞在することでいつの間にか大人を凌ぐ鋭敏な感覚を手に入れていたということを意味し、ガンダムの裏テーマを明確に示唆する名シーンとなっています。その後のシリーズでも戦災孤児となった赤ん坊が主人公と行動を共にするというようなパターンが定番となっていて、大人では感じ取れない状況を赤ん坊が察知して泣き出したり、笑い出したりといった描写が盛り込まれています。ガンダムシリーズにおいて、ストーリーの要所で登場する「子供」は、テーマ表現のための重要な役割を果たしていると言えるわけです。

さて、本作に登場する子供がそのストーリー展開において大きな役割を果たしているのは、本作をご覧になった方ならばすぐに同意していただけると思います。主人公の警察犬訓練士見習い・望月杏子(夏帆)が勤める訓練所の所長・番場清二郎(寺脇康文)の娘・新菜(大野百花)は、序盤からその生意気な言動で我々を楽しませてくれて、その存在感を強烈に印象付けられるわけですが、この時点では彼女は本作の喜劇的な要素を引き立てるための登場人物の一人でしかなく、そのあたりの彼女の表面的な生意気さというものはリアリティを欠いている部分もあるかもしれません。しかし、後で振り返ってみると、時に笑いを誘う新菜ちゃんの生意気な言動の内容は、常に主人公を客観的かつ冷静に見つめる視点が元になっていることに気がつきます。

映画制作上の技術的な観点で言えば、新菜ちゃんは、杏子の成長と挫折に誰よりも鋭敏に反応するとても感受性の豊かな少女として描かれており、それらを生意気な言動をもって表出させることで、観客の笑いを誘うと同時に主人公のキャラクターを間接的に描写するというとても高度なテクニックが用いられています。また、杏子が訓練所を辞めるときに、最も落胆したのが新菜ちゃんであり、皮肉たっぷりの言葉で杏子を送り出すわけですが、実は新菜ちゃんは主人公の周囲でその成長を暖かく見守っている存在(=大人たち)の感情を代弁する存在であり、狂言回しに近い役割も果たしているのです。その意味では、主人公の成長と挫折を大人を凌ぐ鋭敏な感覚で見守っていたのが彼女であり、その敏感すぎる感受性ゆえに、きな子を連れて杏子に会いに行こうとするわけです。

そのちょっと無謀とも思える行動自体が「子供らしさ」ということにもなるわけですが、生意気な言動を盛り込む一方で、しっかりと新菜ちゃんの「子供らしさ」を随所に盛り込んでいる点が、この脚本の巧みなところです。「決行日」に向けてテルテル坊主を吊るすあたりも子供らしさだったし、杏子ときな子に見つけてもらって「あんたらに助けられるとは私も地に落ちたもんや」という軽口を言った直後に、わんわんと泣き出した新菜ちゃんを見て、私はホッとすると同時に作り手の子供についての考え方とその描写がとてもしっかりしたものだったことを確認しました。序盤には、新菜ちゃんの母・園子(戸田菜穂)が、生意気な口を利く娘について「こんな仕事してるから、あんまり構ってあげられなくてね」と杏子に釈明していますが、このあたりは新菜ちゃんがその独特の感性を研ぎ澄ませることになる家庭環境を説明する描写になっていて、新菜ちゃんというキャラクターに説得力を持たせることに成功しています。

ちょっとまわりくどくなりましたが、本作における子供が果たす役割と子供が有する性質というものは、ガンダムシリーズにおける子供のそれに影響を受けているような気がするのは、私の感覚が「ニュータイプ」だからでしょうか(笑)。もっともそんな考えを巡らせてしまったのは、先にも述べたある客観的な事実に端を発しているに過ぎないということは認めなければならないところで、まったくの的外れの可能性もあります。ただし、私と同世代のクリエイターと呼ばれる人たちの中には、ガンダムシリーズの影響を強く受けて、その創作物に反映させている人が多いというのもまた事実だと思います。

だからといって、本作の脚本をガンダムとの比較で論じるのはいささか飛躍しすぎということになるかもしれませんが、少なくとも本編では、子供の潜在能力に着目し、子供ならではの独特の感性のようなものを随所に盛り込むことによって物語を巧みに展開させており、とても優秀な脚本であることは間違いありません。

総合評価 ★★★☆☆
 物語 ★★★★
 配役 ★★★☆☆
 演出 ★★★☆☆
 映像 ★★★☆☆
 音楽 ★★★☆☆

「きな子」が一切登場しないレビューになってしまいましたが(^^;、
夏帆ちゃんもきな子もとても素晴らしいお芝居を披露してくれていました。
あんまり難しいことを考えなくてもいい映画というのもたまにはいいですね。
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