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真夏のオリオン [映画レビュー]

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『真夏のオリオン』
(2009年 東宝 119分)
監督:篠原哲雄 脚本:長谷川康夫、飯田健三郎 出演:玉木宏、北川景子、堂珍嘉邦
          Official Wikipedia / Kinenote          

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(C)2009 「真夏のオリオン」パートナーズ 

この作品をどのようなジャンルに位置づければいいのか難しいところですが、ひとつ言えることは本作が「反戦」を訴えるような性質の戦争映画ではないということです。こんなに戦争を「きれいに」描写しておいて、「戦争は悪だ」という主張が込められているわけはないし、ストーリー上の戦争が個別の戦闘の描写に終始しているところからも、本作は、反戦という大きなテーマとは無縁の作品であると言っていいと思います。そうかと言って、エンタテインメントという観点でいえば一級の素材である潜水艦に着目していながら、娯楽作品にも徹することができていない点が本作を凡庸なものにしてしまっています。

公式サイトのイントロダクションには、本作が製作される端緒の作品として『眼下の敵』が挙げられていましたが、作品を観てしまえば、まったくジャンルを異にする作品になってしまっているのは明らかだと思います。『眼下の敵』は、敵対する潜水艦と駆逐艦の心理戦を含む攻防と、戦闘を通して描かれる両艦長の人間ドラマが織り込まれた稀代の娯楽作品といえると思います。それに対して本作は、人間ドラマの部分を「陸(おか)」での恋愛物語と友情物語に求めていて、しかも、それが現代に繋がっており、外向きのベクトルが大きく突出してしまったという意味で、本作のストーリーはきわめて散漫なものになっていると言えます。

私は、その著書にマニアックなミリタリー要素を多分に盛り込んでいる福井晴敏氏が監修と聞いて、人間ドラマよりも戦闘描写に期待をして本作に臨みました。しかし、観終わってから知ったのですが、福井晴敏氏が主に監修したのはなんと「人間ドラマ」の方で、「船乗りに吉兆をもたらす真夏の空に輝くオリオン座」という要素は、福井氏の着想だそうです。その着想そのものは、並の脚本家では考えつかないものだと思うし、大衆向けの娯楽小説を生み出し続けている売れっ子作家ならではのものだと思います。しかし、その要素が大きく膨らみすぎて、現代にまで及んでしまっては、それはもはや『眼下の敵』のように「戦争」を題材とした娯楽作品であることを否定したも同然であり、本作の作品としての位置付けをますます混乱させてしまいます。

というわけで、本作は、「閉鎖的な潜水艦」という、映画作品として調理するには一級の素材を扱っていながら、作品の大部分を選りによって「開放的な陸(おか)」との関係で作り上げてしまっており、その意味では素材を生かしきれなかった駄作と言ってしまってもいいものと思われます。そう言い切ってしまうと、私が期待していたと申し上げた潜水艦と駆逐艦が繰り広げる戦闘描写のパートについては、もはや批評する価値すらないのかもしれませんが、公式サイトには時代考証や潜水艦の描写への「こだわり」も示されており、その点について何か言わずにいられない自分がいることも否定できないところです。

まず、時代描写に「こだわっている」というポリシーが本作に存在していることは間違いないとは思いますが、同時に製作者の「時代」に対する都合のいい解釈が見え隠れしている点が、私には好感が持てませんでした。たとえば、潜水艦の艦長である主人公・倉本孝行(玉木宏)が部下に対して敬語(丁寧語)を使用していることについて、公式サイトでは、「潜水艦では乗員たちが家族のような雰囲気で、艦長に対しても比較的気楽に話せる関係だったようです。」との説明がなされていますが、それはあくまでも当時の潜水艦および海軍の内部事情に関する「客観的な考証」でしかありません。それにもかかわらず、本作では潜水艦の艦長が部下に対して敬語(丁寧語)を使っていたという客観的事実は、倉本艦長の個別の人格を作り上げるために利用されてしまっているような印象を持ちました。

本作の最大の欠点を一言で断じれば、すべての登場人物が現代的な価値観で作り上げられている点です。部下に敬語を使うような人物だから、戦時中の価値観を持ち合わせておらず、先進的な考え方を持っていた、というのは極めて短絡で都合のいい解釈です。時代考証に「こだわっている」というのであれば、登場人物にもそれ相応の時代感覚を持たせるのは当然のことだと思いますが、製作者は明らかにその点については目を瞑っています。これでは本作が時代考証にこだわっているという売り文句は、製作者の打算に基づいたもので、登場人物の人格を「現代的な価値観」で作り上げていることを観客に対して隠蔽する役割を果たしているとすら感じられてきます。

その点について私が最も違和感を感じ、本作の製作スタンスを象徴していると言えるのが、出撃に逸る回天搭乗員に対する倉本艦長の説得です。「俺たちは生きるために戦っているんだ」という台詞は、はっきり言ってこの種の映画では「禁句」とすら言っていいものと思われます。この台詞は、生きることに執着する現代的な価値観の象徴と言ってもよく、戦時中の価値観とは真っ向から対立するものであり、誰が最初に言わせたのか、「平和ボケ」した現代人が創作したものですただし、倉本艦長の人格が現代的な感覚に近いものだということを否定してしまうと、物語の魅力が半減するし、時代描写にこだわるあまり、倉本艦長を軍国主義の申し子のように描くというのも、娯楽志向の映画作品としてはそれこそ何を表現したいのかがわからなくなってしまいます。

私の感覚では「俺たちは生きるために戦っているんだ」などという安い台詞を言わせなくても、時代描写と両立させた上で倉本艦長の先進的な人格を表現する方法はあったように思われます。そのためには、最前線にいる実戦部隊の指揮官という職責を果たすための「建前」と、戦闘で犠牲者を出したくないという「本音」を描き分けることが重要となってきます。ここで言う「建前」とは、時代描写に通じるものだし、「本音」は主人公の人格を表現するものとなります。この大前提があれば、倉本艦長が指揮官として出撃命令を下さないという行為そのものが回天搭乗員の命を救う最善の方法となり、「俺たちは生きるために戦っているんだ」などという台詞を言わせなくても、回天搭乗員を納得させることができるとともに、時代描写と人物描写の両立が可能になります。本作では、あろうことか本音を「命令」として表出させてしまっており、人物描写のために都合よく時代描写を切り捨ててしまっていると言えます。

本作は、娯楽作品というよりも、人間ドラマを主題とした作品と位置づければ、一定の評価はしてもいいものと思われますが、表現方法だけを意地悪な視点で評価すれば「大人の戦争ごっこ」によって作られた映画であり、その意味では角川春樹氏が私財まで投じて「壮大な戦争ごっこ」を映画化してしまった『YAMATO 男たちの大和』(2005年 東映)と同列の作品とも言えるかもしれません。

総合評価 ★★☆☆☆
 物語 ★★☆☆☆
 配役 ★★★☆☆
 演出 ☆☆☆☆
 映像 ★★★☆☆
 音楽 ★★★☆☆

映像については、一部に模型を使用したいわゆる「特撮」が使用されている点を評価したい。近年ではCGに取って代わられている特撮だが、日本が世界に誇れる映像技術である。


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