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眉山 -びざん- [映画レビュー]

眉山-びざん- (2枚組) [DVD]

[ DVD ]
眉山-びざん- (2枚組)
( 東宝 / ASIN:B000UNAE6C )

『 眉山 -びざん- 』
( 2007年 東宝 120分 )
監督:犬童一心 脚本:山室有紀子 出演:松嶋菜々子、大沢たかお、宮本信子
          Official / Wikipedia / Kinejun          

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(C) 2007 「眉山」製作委員会

一般的には馴染みの薄い「献体」ですが、その意味を知ってしまえば、社会に必要不可欠なものであることがすぐに理解できると思います。ただし、自らが献体の当事者になるということについては、熟考を要することであり、本作のプロットを振り返るとき最も重要な要素は、主人公の母が「献体をする動機」だったと思います。その動機を語るにあたっては、主人公が母が辿った人生を知ることによって母が献体をする動機に行き着き、また逆に、母が献体をする動機を知ることで母の人生が何たるかに到達するという二重のロジックが見事に機能していたと言えます。人生の最後は献体という行為に至るところにひとりの女性の生き方が集約されているのであって、そのことが「幸福な人生」のあり方を問いかけるとともに、本作のストーリーに「美しさ」を付与しています。

本作のストーリーの根幹は、永遠の決別を前にした母娘の和解の過程を描くことであり、母娘の距離感の表現が重要になってきます。『イエスタデイズ』(2008年)でも同様のことに触れましたが、この種の表現で重要なのは、観客の立場を中立に置いておくことです。中立な立場で我々が想像する結末は製作者が意図するところであり、ある種予定調和的な結末が感動を呼ぶという基本的なセオリーを的確に押さえた作品だったと思います。

そのような観客の立場を決定付ける重要なシーンが序盤に登場します。母の病気を知って病院に駆けつけた咲子(松嶋菜々子)は、母・龍子(宮本信子)が看護師に説教しているところに出くわして、相変わらずの我の強さに呆れてしまいます。咲子はそんな母に釘を刺しますが、龍子がそれをはぐらかして、いきなりこの母娘の関係の複雑さが伝わってきます。そして、説教された看護師が医師の寺澤大介(大沢たかお)に愚痴をこぼすシーンにそのことが繋がってくると、それに対して感情を露わにするのは当然龍子の方だと誰しもが思いますが、真っ先に立ち上がったのが咲子だったところに、我々は龍子と咲子が紛れもなく母娘であることを感じ取ります。

このシーンのおかげで、我々はこの母娘関係の本質に気が付き、表面的には反目しあっていても二人が最終的に理解し合えないはずがないということを知ってしまいます。このシーンを深読みすれば、物語の着地点を暗示しているとも言え、これ以降観客はこのシーンを拠り所として、二人の母娘関係を見守ることになります。そして、我々が想像したとおりに物語が予定調和的な結末に収束することによって、セオリー通りに感動を生むのです。

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犬童一心監督と言えば、『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)がまずは思い出されますが、最新作『ゼロの焦点』(2009年)に代表されるいわゆる文芸作品を撮れる数少ない映画監督ということができると思います。その範疇にある本作においてもその手腕は遺憾なく発揮されており、まったく危なげのない演出で我々を作品世界に惹きこんでくれました。

ファーストカット本作の冒頭は近年の映画では珍しくアバンがない形式を採っていますが、いきなり登場するタイトルのカットが実に「美しい」仕上がりになっており、この直後のシーンで龍子が踊りながら流す美しい涙が持つ意味と「眉山」というタイトルの持つ意味が結び付く素晴らしいオープニングだったと思います。

本作を文芸作品と位置づけると、演出上はおのずと「余韻」のようなものを残すことが重要であり、それはすなわち観客の想像力を刺激するような表現を多用する演出ということになってくると思います。具体的に言えば、本作中実に巧みに使われているのがいわゆる「間接表現」であり、結論を観客の想像力に委ねる演出は、文学的かつ映画製作の伝統的手法ということができると思います。

最もわかりやすいシーンをひとつ挙げると、終盤、阿波踊りの演舞場で、龍子が寺沢に咲子の将来を託すシーンのラストカットは当事者二人を捉えるものではなく、二人の前列でそのやり取りを聞いて感極まる大谷容子(円城寺あや)と松山賢一(山田辰夫)のツーショットで終わっています。このラストカットは、この二人を「美しい契り」の証人として意味付けており、我々の涙を誘わずにはいない名シーンとなっています。このシーンに代表されるように本編中一貫して、ひとつのシーンを安易で直接的な顔寄りのカットで終えず、物寄りや実景カットで終わる間接的な演出が多く使用されており、そのことがもたらす「余韻」こそが本作演出の肝とも言うべきものになっています。

そんな余韻を表現するカットとして、本編全体にわたって多くの眉山の実景カットが挿入されていますが、これらの眉山を捉えるカットが持つ意味が物語を通して微妙に変化していくところが実に興味深いところです。眉山が最初に登場するのは、咲子が徳島空港から病院に向かう車中のシーンの直後ですが、松ちゃんの「眉山もさっちゃんをお出迎えじゃ」という台詞からも、そこには徳島を象徴する風景という意味合いしかありませんでした。しかし、物語が進展して龍子の生き方が明らかになるにつれて、次第に眉山に対して特別な意味が付与されていきます。終盤、龍子が「眉山があの人だと思って、おまえと二人ここで生きていこうってね・・・」と咲子に語るといよいよ眉山が持つ意味の核心が明らかになります。

ラストカットそして、本編のラストが眉山を捉える実景カットで終わっていることも至極当然のことであり、そこに出演者クレジットを重ねる演出は、オープニングタイトルとも繋がる「美しさ」を感じさせ、究極の余韻を残す演出となっています。これらの眉山の実景をもって我々の想像力を刺激する「余韻」は、活字媒体である原作小説では表現しきれない部分であり、映画ならではの特性を生かしきった見事な演出だったと言えます。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★★
 配役 ★★★★★

 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★★
 音楽 ★★★★★


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