So-net無料ブログ作成
検索選択

耳をすませば [映画レビュー]

耳をすませば [Blu-ray]

[ Blu-ray ]
耳をすませば
( スタジオジブリ  / ASIN:B004W0XO5C )

  • [DVD]
    耳をすませば

    ( ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント / ASIN:B00005R5J9 )

『耳をすませば』
(1995年 東宝 111分)
監督:近藤喜文 脚本:宮崎駿 出演:本名陽子、高橋一生、小林桂樹
          Official / Wikipedia / Kinejun           

2009121501.jpg
(C) 1995 柊あおい/集英社・二馬力・TNHG

本作における主人公の成長は、他者の目を通して自分が何たるかを認識する過程を描くことで表現されており、それは『幸福の食卓』(2006年 松竹)で触れた少女の成長劇の描写と類似しており、今思えば、かの作品は本作にインスパイアされた部分が少なからずあるような気がしています。本作の主人公である月島雫(本名陽子)にあっても、その魅力は他意のない純粋な無邪気さであり、序盤から中盤にかけては彼女の言動の中にそのイノセントな部分が遺憾なく表現されていきます。

 2009121502.jpg
「あ~、ずいぶん低~い!今日はいいことありそう」

たとえば、序盤、雫が空を飛ぶ飛行船を見つけて、嬉しそうに「今日はいいことありそう」とつぶやくシーンがありますが、このあたりには些細な日常にも何らかの意味を付与できてしまう雫の感受性の豊かさが表現されています。中盤には天沢聖司(高橋一生)がそのような雫の無邪気さから発せられた言葉に対して「おまえな、よくそういう恥ずかしいこと平気で言えるよな」と突っ込みを入れますが、雫の言葉はまさにその種のものであり、他人に自分の言葉がどのように受け取られるのかを考慮した上での発言ではありません。「あら、いいじゃない、本当にそう思ったんだから」とは雫の返答です。

つまり、この種の雫の言葉というのは、自分が感じたことを率直に言葉にしたものでしかなく、言葉そのものが自己完結しているという意味では、雫の意識の中にはそれを受け止める「他者」が存在していません。それこそが雫の無邪気さの本質であり、彼女の魅力ともなっているわけですが、別の見方をすれば「世間知らず」と言うこともできます。そして、そんな自らの「世間知らず」を思い知らされる時が、唐突におとずれます。

同級生の杉村に告白される神社のシーンは、雫が自分に向けられた他者の目を初めて強く意識した瞬間を描いています。それと同時に雫は、物語の世界の話でしかなかった恋愛の舞台に彼女自身が立っていることを認識します。生まれて初めて意識した他者の目が恋愛感情だったというのは、雫にとっては衝撃的でしかなかったと思いますが、このことがなければ、雫はその後の聖司との関係においてその感情を能動的に処理することはできなかったはずです。本作中、杉村は雫の精神的な成長にとって最も重要な役割を果たしていたと言え、その意味では「杉村、ナイスアシスト!」としか言いようがありません。

杉村によって他者の存在を認識した雫が、自身の目下の懸案である進路について明確な答えを持っている聖司に惹かれていったのは、至極当然の成り行きだったと思います。これ以降、雫の行動は、常に自分以外の他者、とりわけ聖司という存在を意識したものに変わり、語が好きなだけだった少女は、物語を書くことによって自分の原石を磨く術を模索し始めるのです。

さて、ここからはそれら少女の成長劇についての描写を演出面から掘り下げてみたいと思います。本作のテーマは、モラトリアム期にある少女の精神的な成長を描写していくことにあります。本作における主人公の成長は、彼女を取り巻く環境の「変化」の中に織り込まれており、演出上は、何気ない季節の移ろいが重要な役割を果たしていたような気がします。

本作が切り取っているスパンは、月島雫が中学3年生のおよそ数ヶ月間です。物語は夏休みから始まりますが、夏の暑さから冬の寒々しさへの移ろいは、楽天的だった雫の中学校生活が、避けることができない進路という分岐点を迎えていくことを示唆しており、それとともに雫の気持ちは、夏休みの開放的な種類のものから、冬の空気感の中に孤独に存在するものへと変化していきます。

たとえば、雫の夏休みを描く序盤、図書館からの家路に就く雫に一陣の風が吹き抜けます。これはおそらく「野分」であり、暗に夏の終わりを表現しています。このシーンにおける曇天の背景と物寂しい音楽は、明らかにそれまでのトーンから一転しており、雫は物語が始まりそうだと予感した地球屋の発見から、中学3年生が向き合わなければならない現実へと一気に引き戻されていきます。

そして実際に次のシーンでは、新学期が始まっており、雫の通学シーンで降る雨は「現実感」を象徴的に表現しています。先にも触れた通り、杉村の告白は雫にとって重要な転機となりますが、その翌日の通学シーンでも雨が降っています。これはおそらく「秋雨」であり、杉村の告白によって新しい現実に直面した雫にとっては冷たい雨でしかありません。その後も雫がセーラー服の上に羽織るカーディガンや衣替えなどに季節感を見出すことができ、季節の移ろいは雫に対して容赦なく、自身の進路についての回答を迫っていきます。

また、杉村告白翌日の雨は、雫と聖司がお互いの気持ちを確かめ合う学校の屋上のシーンへとつながっており、雨が止んだとき、雫は聖司の正直な気持ちを知ることになります。このシーンは、雫の精神的な成長を天候の変化に託して表現しており、雫は聖司を通じて恋愛についても自分の将来についても漠然とした「手がかり」を手に入れます。

さらに、このシーンは、本作の演出を語る上で見逃せない重要なシーンとなっています。このシーンには、屋内から屋外、曇天から晴天という移り変わりの中で、光量の変化が意図的に盛り込まれているわけですが、雫の髪の色がそれにつれてはっきりと変化していきます。そして、雫の髪の色の変化はこのシーンで完結しておらず、本編を通して丹念に見てみると、そこに明確な演出上の意図を汲み取ることができます。

 物語が好きなだけの少女
2009121602.jpg
すでに恋をしている夕子との対比が興味深い。
学校の屋上のシーン
2009121603.jpg
雫の精神的な成長を明確に印象付けている。
ラストシーン
2009121604.jpg
物語を書き上げた直後からさらに明るくなる。

上に示したように、雫の髪の色は、彼女の精神的な成長とともに明るさを増しており、雫の精神の成長に影響を与える要所のシーンで、雫の髪の色は象徴的に変化していきます。先に述べた学校の屋上のシーンは最もわかりやすいと思いますが、本編を通じて最初にその変化が印象的に盛り込まれたのが、杉村が雫に告白した神社のシーンだったと思います。

このシーンも、夏の晴天の中、緑がまだ色濃い神社の境内には木漏れ日が差しており、光量の強弱が効果的に使用されています。杉村の突然の告白に戸惑う雫は、その場から走り去ろうとしますが、このとき雫に降りかかる木漏れ日は、雫の髪の色を断片的に明るく見せており、雫が成長の過渡期にあることを示唆します。実際にこのシーンを境に雫の髪の色ははっきりと明るさを増し、雫の精神は新しい局面に突入していきます。

終盤にかけては、雫が物語を書き上げた直後からさらに明るさを増していきますが、なんと言っても注目すべきはラストシーンです。このシーンも雫と聖司がいっしょに日の出を見るとあって、光量の強弱が重要な役割を果たしており、聖司のプロポーズの直後、朝日に照らされた雫の髪の色は、極限の明るさに達します。

今度本作をご覧になる方は、ぜひ雫の髪の色に注目して鑑賞していただきたいと思います。それはまさに原石が磨かれていく様を連想させるものであり、アニメーションならではの演出手法によって、本作のテーマを象徴的に表現することに成功しています。

総合評価 ★★★★★
 物語 ★★★★
 配役 ★★★★

 演出 
★★★★
 映像 
★★★★
 音楽 ★★★★★

本作の劇中音楽は、ジブリ作品の中では異彩を放っており、管楽器が前面に出たオーケストレーションは、物語の世界に没頭する雫のイノセントな部分と雫が創作した物語の世界観を的確に表現していきます。


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 2

コメント 2

no_nickname

ロケ地を観に行きました。
by no_nickname (2010-07-16 04:40) 

ジャニスカ

no_nickname さん、nice!&コメントありがとうございました!
by ジャニスカ (2010-07-16 18:04) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:

seesaa_plugin_qrcode_12062.png