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海がきこえる [映画レビュー]

海がきこえる [DVD]

[ DVD ]
海がきこえる

( ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント / ASIN:B00005R5J7 )

『海がきこえる』
(1993年 日本テレビ 72分)
監督:望月智充 脚本:中村香 出演:飛田展男、坂本洋子
          Official / Wikipedia / Kinenote           

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(C)1993 氷室冴子 / TNG

本作は、日本テレビの開局40周年記念番組としてスタジオジブリによって制作されたテレビアニメです。したがって、正確には映画ではありませんが、間違いなく映画と同等のクオリティを備えており、スタジオジブリの隠れた名作という位置づけができるし、実際そのような評価が広くなされています。本作が製作されることになった経緯についてはここでは触れませんが、素晴らしい原作が存在していたということは間違いありません。本編は原作を断片的に映像化したものですが、時間的制約の中で、きわめて丁寧な人物描写がなされていると同時に、物語の起伏と帰結についても大変高いクオリティに納まっています。

ストーリーについては、「アニメーションでやる必要があるのか」という疑問が付きまといそうですが、私は、本作はアニメーションでなければ成立しなかったと思っています。本作演出上の重要なテーマのひとつが、主人公二人の人物像の奥深くに迫ることであり、それがなければ物語の結末に説得力が生まれません。実写で表現したとして、果たしてこの二人の性格とそこから発せられる言動あるいは感情を表現しきれる同世代の俳優さんが存在したでしょうか。ストーリーそのものが実写向きであるにもかかわらず、本作が今もって独自の地位を確立しているところが、アニメーションならではの存在感を証明しており、本作のような硬派な青春ドラマは、実写映画ではいまだに成立していないような気がします。ちなみに1995年に本作の続編がドラマ化されましたが、主演は武田真治さんでした(^^;。

「硬派」と書きましたが、敢えて言ってしまえば、完全に「大人のための」青春ドラマであり、本作をタイムリーに見た高校生が、登場人物に感情移入できたのかは甚だ疑問です。かくいう私も放映当時は、高校生だったわけですが、どんな感想を持って観たのかは全然覚えていません。それは、本作の主人公がとても大人びた存在として描かれているからであり、観るものは大人になって初めて主人公の魅力に気づき、特別な感慨を抱きます。そのことは本作の欠点でもあり、主人公の杜崎拓(飛田展男)と武藤里伽子(坂本洋子)の考え方や性格は、高校生にしては先進的過ぎて、同世代では感情移入しづらく、リアリティを欠いている部分があることも否定できないと思います。

それでも、里伽子についてはクラスメイトとの関係や東京での言動などに十代の危うさや若さといったものが表現されており、感情移入できずとも、大人から見れば所詮は高校生と捉えることもできます。それに対して拓は、ある種、物事を達観した風情があり、一本筋が通った言動や正義感の強さは、およそ高校生のものとは思われません。しかし、里伽子の恋愛対象となりうる男子となると、やはり拓のような性格でなければならないわけで、主人公二人のバランスや物語の展開を考慮すれば、当然許容すべき人物設定だったと思います。

そして、本作のようなストレートな恋愛モノにおいて重要なのは、二人がお互いを「異性として意識した瞬間」とお互いを「好きであることを確信した瞬間」を演出上明確にしておくことであり、視聴者がそれぞれのポイントの意味をはっきりと認識していなくても、それがあれば二人の結末にはおのずと説得力が生まれてくるものです。ここからは、二人の互いに対する特別な感情が表現されたポイントを押さえていくことによって、二人の心情の変化とその微妙な揺れ動きを紐解いていきたいと思います。

まず、拓が里伽子を異性として意識した瞬間ですが、おそらく東京旅行だったと思います。具体的に言えば、里伽子の弱さを知った瞬間であり、拓は、父親に裏切られ、元カレに幻滅した里伽子に対して惜しみない同情の念を抱きます。ただ、この時点でも、これ以降も、しばらくは里伽子に想いを寄せる親友の松野豊に対する遠慮という「枷(かせ)」が厳然と存在しており、その気持ちをはっきりと認識するのは大分後になります。

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「これはドラマより、まだヒドイと、僕は思った」

里伽子が拓を異性として意識した瞬間も、やはり東京旅行だったと思います。これについては、進学した里伽子が「会いたい人」が「お風呂で寝る人」であることを吐露している点からもはっきりしていると思います。東京のホテルの部屋における二人のシーンは、「里伽子のわがまま」と「拓の包容力」の対比が色濃く描かれています。ここでの里伽子のわがままは、拓の包容力への甘えであり、最初は自らの言動には無意識だったと思いますが、里伽子が「おばの家に泊まる」と言ってホテルの部屋を出て行くときには、自らの拓に対する甘えをはっきりと自覚していたと思います。そして、高知に帰ってからは、拓を無視することによって自らの気持ちを抑えようとします。

里伽子の心情をもう少し掘り下げると、松野の告白に対して、思いやりのかけらもない最低の反応をしたのは、松野に対してというよりも、拓に対する自ら気持ちを認めたくないという心情が反映されていたような気がします。高知と土佐弁への罵倒は、拓を貶(おとし)めようとする気持ちが表出したものでした。そんな里伽子の複雑な心情がもっとも露骨な感情として表れたのが、拓が里伽子の松野に対する仕打ちをとがめた時であり、拓に手を挙げてしまいます。そして、そのことが次の「瞬間」に繋がっていきます。

里伽子が拓を好きであることを確信した瞬間は、里伽子がクラスメイトにその協調性のなさを責められるシーンだったと思います。里伽子は、その様子を静観していた拓に対して、今度は涙という正直で嘘のない感情をあふれさせながら、拓の頬を叩きます。このシーンにおける里伽子の心情は、前のシーンで手を挙げたときとは明らかにその性質を異にしており、拓にぶつけた感情が「強がり」から「弱さ」に変化しています。つまり、そういう状況で正義感の強い拓が当然するべき行為を放棄したことを知った「瞬間」こそが里伽子が自分の気持ちをはっきりと確信した瞬間であり、好きな人に突き放された感覚が涙として表出したのです。

また、この直後に拓は松野にも殴られるわけですが、松野の感情も里伽子と似たようなものであり、松野は正義感の強い拓が当然するべき行為を放棄したことに、自分への「遠慮」を見て取ると同時に、拓が里伽子に特別な感情を持っていることを確信します。このシーンにおける三人それぞれの心理描写は、いわゆる「三角関係」の切なさを見事に表現していたと言えます。

そして、本編において、もっとも直接的でわかりやすいのが、拓が里伽子を好きであることを確信する瞬間であり、これは言うまでもなくラストシーンになります。それ以前に、同窓会で里伽子のうわさを聞いた時点で、拓は自分の気持ちに気がついているとも言えますが、本作の演出上の肝は「恋愛モノ」におけるもっとも重要なポイントをラストに持ってきている点であり、そのことが作品の印象を決定付け、作品全体のクオリティを高めています。

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「ああ、やっぱり僕は好きなんや。そう感じていた」

この吉祥寺駅ホームのラストシーンは、里伽子の何気ない女性らしい仕草を捉えて、彼女の精神的な成長を表現し、そこに拓の「確信」を表現する心の声をかぶせるという、動きが少ないカットで終わっています。このカットは、里伽子の大人びた無表情もあいまって、なんとも言えないさわやかな余韻と二人のその後に対するさわやかな予感を残してくれます。極端に言えば、物語はこのラストシーンに向かって進展していたのであって、拓と里伽子の心情の性質とその変化を丁寧に描写してきたことがこのラストカットに見事に結実しています。 

総合評価 ★★★★
 物語 ★★★
 配役 ★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★
 音楽 ★★★★★

杜崎拓を演じた飛田展男さんは、『機動戦士Zガンダム』のカミーユ・ビダンを演じた方ですが、全然印象が違います。声優さんの仕事というのはスゴイもんです。


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サンフランシスコ人

1/16から 『海がきこえる』をサンフランシスコの映画館で上映します...

http://www.roxie.com/ai1ec_event/ocean-waves/?instance_id=17212
by サンフランシスコ人 (2017-01-06 04:06) 

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