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サイドカーに犬 [映画レビュー]

サイドカーに犬 [DVD]

[ DVD ]
サイドカーに犬
( ポニーキャニオン / ASIN:B000Y8CYW0 )

 『サイドカーに犬』
(2007年 ビターズ・エンド 93分)
監督:根岸吉太郎 脚本:田中晶子、真辺克彦 出演:竹内結子、古田新太、松本花奈
          Official / Wikipedia / Kinejun          

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(C) 2007 「サイドカーに犬」フィルムパートナーズ

モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞した根岸吉太郎監督ですが、本ブログでもすでに取り上げた『雪に願うこと』(2005年 ビターズ・エンド)のレビューでも触れたとおり、登場人物が生きている時代や場所といった背景を丁寧に描くことでその人物像と感情の機微を浮き彫りにする演出手法は独特であり、その作品は「文学的」なものと言えるかもしれません。

本作のストーリーもそのドラマ性についてはきわめて「ぼやけた」ものであり、あくまでも人物描写に主眼を置いています。竹内結子ちゃん演じるヨーコの素性もはっきりとは描かれないし、薫(松本花奈)の父親(古田新太)もその仕事の「あやしさ」が描かれるのみで、どういう経緯でそんな仕事をしているのかに言及することはありません。本作の特徴は、徹底して子供の目線で大人たちの行動を描いている点であり、10歳の子供が理解できない大人の事情にはストーリー上も深入りしません。

竹内結子ちゃんがタバコを吸う役を演じるというのは想像できませんでしたが、どんな役柄でも登場して1分でキャラクターを表現しきってしまうというのは本当に素晴らしい女優さんだと思います。自転車のライトを持って入ってくる動きや薫に話しかける台詞のトーンなどに「リアルに存在する人物」が冒頭からいきなり表現されており、登場した瞬間にトップスピードに持っていくそのお芝居の瞬発力には本作でも驚かされました。

そんなヨーコの人物像は、10歳の薫の視点で描かれていくわけですが、本作の成功を決定付けたといってもいいのが、その薫を演じた松本花奈(まつもとはな)ちゃんのナチュラルな子供らしさの表現だったと思います。

一昔前までは映画の出演者クレジットに「(子役)」という文言がよく見られました。それは稚拙な子供のお芝居と成人の俳優の完成されたお芝居と区別するものであり、製作者サイドの観客に対する「子供のやることですから」的な「お断り」のような意味合いがあったような気がします。最近ではめっきりそのような「お断り」は見られなくなりましたが、実際子役のお芝居というのは一昔前と比べるとそのレベルは向上しているとは思います。しかし、果たして真のプロフェッショナルである成人の俳優さんと遜色ないレベルのお芝居をする「子役」がどれだけ存在しているでしょうか。

たとえば、「こども店長」や「ポニョ」の生来の子供らしさを差し引いて、お芝居だけを純粋に評価した場合、子供があのような抑揚をつけて話をしている時点で、それは「劇団に所属している子供」でしかなく、単純に「現実世界にはそんな子供はいない」という一言でばっさり切り捨てることができるぐらいのレベルでしかないはずです。それでも、時に我々の感情を揺さぶるのは、そのお芝居とは別のところで、「子供なのにエライわね」的に我々の親心をくすぐっている部分が少なからずあるからだということも否定できないと思います。

子役が「劇団に所属している子供」であることを我々に意識させてしまうのは、その台詞の「不自然」な抑揚のつけ方に「そうやったら大人たちが喜んだ」というような子供ならではの潜在意識が存在しているからであり、私がいわゆる「子役」のお芝居に冷めてしまうのは、彼らのお芝居の背後に「親の存在」を明確に嗅ぎ取ってしまうからだと思います。

というわけで、私は「子役」にはかなり否定的な見解を持っていますが、本作における松本花奈ちゃんのお芝居については、竹内結子ちゃんのプロフェッショナルとしてのお芝居と並べても、まったく遜色なかったといってもいいと思います。もちろんそこには花奈ちゃん自身の天性の表現力もあったと思いますが、同時に私は薫という役柄に対する演出上の意図のようなものを感じ取りました。

いわゆる「子供らしさ」とはどのようなものかといえば、大人がまず想像するのは「元気がいい」とか「活発」というイメージだと思いますが、実際の子供というのは、きまぐれでわがままなものであり、大人が期待するような言動をすることは極めて少ないものです。そのことを前提としていない脚本における子供の台詞には、前述のように抑揚をはっきりつけなければならないような冗長なものが多く、台詞そのものが「子供らしさ」を奪っていることが多いような気がします。

2009112302.jpg本作における薫の「子供らしさ」は、台詞というよりも、薫の「大人を見る目」で表現されています。そのことは本作演出上の重要なテーマであり、ヨーコという人物像は「薫の目」というフィルターを通して描かれていきます。薫は大人の行動に疑問を持っても、それを見つめるだけで、余計なことは言いません。子供にとっては大人の行動というものは常に不可解なものであり、薫がその疑問をいちいち解決しようとせず、大人の事情には深入りしないところが「子供らしさ」であり、薫が大人と子供を明確に線引きしていることが感じ取れます。

そのような性質の「子供らしさ」がはっきりと表現されたシーンをひとつ紹介します。ヨーコが薫の父親のお人よしぶりに呆れて、「百恵ちゃんの家」を見に薫を連れ出しますが、ヨーコは父親の性格を前提に薫に次のような質問をします。

 「薫はさ、犬を飼うのと自分が飼われるの、どっちがいい?」

大人にしてみれば、何を云わんとしているのかはすぐに理解できるし、答えはゼロイチか両方否定しかないと思います。これに対して薫は首をかしげて、次のように答えます。

 「わかんない。わかんなけど、ただ・・・前にサイドカーに犬が乗ってるの見たことある。
 あの犬になれるんならいいなぁ。あんなふうに澄ました顔でサイドカーに乗って・・・」

こんなに「子供らしい」答え方があるでしょうか。これは薫が「大人の事情」とは別の世界に生きていることを表現しており、ヨーコはそんな薫の思いもよらない答えに、自分の悩みのちっぽけさを思い知るのです。また、両親の離婚が確定したときに薫が父親に対する抗議の気持ちを込めて「吠えた」のもきわめて子供らしい行動であり、そこには子供の言動というものは良くも悪くも大人の期待を裏切るものであるという大前提が存在しています。

本作の演出は、これらのシーンに代表されるように、薫の子供らしい素直な反応を切り取ることによって、大人たち、とりわけヨーコの感情を浮き彫りにしており、それは根岸演出の真骨頂とも言うべきものでした。本作における薫の「子供らしさ」は、演出上も表現上もきわめてリアリティを感じさせてくれるものであり、それが大人になった薫(ミムラ)の人物像にまで説得力を付与することによって、作品の質を高めることに成功しています。

総合評価 ★★★★
 物語 ★★★★
 配役 ★★★★
 演出 ★★★★★
 映像 ★★★★
 音楽 ★★★


タグ:竹内結子
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