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おっぱいバレー [映画レビュー]

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『おっぱいバレー』
(2009年 ワーナー・ブラザーズ=東映 102分)
監督:羽住英一郎 脚本:岡田惠和 主演:綾瀬はるか
          Official / Wikipedia / Kinejun          

2009103011.jpg
(C) 「おっぱいバレー」製作委員会

私が最もテレビドラマをたくさん見ていた90年代にデビューし、私が大好きなテレビドラマをたくさん手がけている岡田惠和氏の脚本による作品ということで、そのストーリーは期待通り、上質のコメディとなっています。しかし、私がどうしてもその演出と作品を好きになれない羽住英一郎監督が本作を手がけることになったというのは、まったくもって不運としか言いようがありません。(←完全なる個人的見解です^^; 。)

優秀な助監督が優秀な映画監督になるとは限らない」という話を聞いたことがありますが、失礼ながら、その格言が羽住英一郎監督に当てはまってしまっているような気がしています。羽住監督は、映像制作会社ROBOT所属の映画監督ですが、私にとっては未だに『踊る大捜査線』(1996年 フジテレビ)のチーフ助監督という認識が強く残っています。大ヒットした『踊る大捜査線』シリーズですから、裏方も随分メディアに取り上げられましたが、羽住監督は名作を陰で支えた超優秀な助監督だったそうです。以下は、彼の作品を見た上での想像に基づいた分析です。

羽住演出の特徴を挙げると、大きく二つあります。ひとつめはとにかく「カメラを動かす」演出です。クレーン、ドリー、レール、ステディカムなどあらゆるツールを駆使して、とにかく画面を一ヶ所に固定することがありません。1カットに費やす労力を考えると、スタッフの努力には感服します。しかし、それぞれのカメラの動きにどんな意味があるのかを考えると、申し訳ありませんが「意味不明」であり、スタッフの徒労には同情するしかありません。

基本的にカメラを動かす演出というのは、当たり前ですが、被写体が動くときに使用されるものであり、そこに被写体を追いかけること以上の意味はありません。本作においては、たとえば、冒頭の自転車で走るシーンやバレーボールの試合のシーンでカメラを動かすことには当然意味があります。しかし、たとえば狭い部室のシーンで、バカ話をする中学生たちを右から左へカメラを動かして撮ることにどんな意味があるんでしょうか。

私にはその「意味」を読み取ることはできませんでしたが、監督がカメラを動かすことに「こだわる意味」を勝手に分析してみました。超優秀な助監督だった羽住監督にとって、特機やレールを設置したり、「ドンデン」したりといった作業を効率よく実施することは、得意とするところであり、その作業自体に映画作りの醍醐味を感じているのではないでしょうか。つまり、最初から何かを表現するためにカメラを動かすのではなくて、カメラを動かすことが映画を撮ることだと思っているのかもしれません。

羽住演出ふたつめの特徴は、「複雑なカット割」です。テレビドラマ出身の監督はカット数が多い傾向にありますが、それを差し引いても、この人の切り方は尋常じゃありません。なおかつカメラが動くわけですから、本作を見て、私はそれを「役者殺し」の演出と呼ぶことにしました。「余計な」ことをして、役者さんの演技を殺したシーンをひとつ挙げましょう。

主人公の美香子(綾瀬はるか)が学校の先生を志すに至るエピソードというのは、本作中で最も重要な要素のひとつであり、冒頭で本作のコメディのセンスを印象付けた高村光太郎の『道程』(どうてい)が、その点にも生かされてくるという見事な脚本となっています。そのうち、美香子が先生を志すきっかけをくれた恩師の真意を10年越しで初めて知るシーンは、本作中で唯一、おふざけなしで純粋に感動を呼ぶシーンだったと思います。

しかしながら、そんなシーンも羽住演出にかかれば、情緒もへったくれもありません。このシーンも複雑なカット割であらゆる角度から被写体を捉え、なおかつカメラを動かしていますが、「切り返し」と「インサート」の連続では我々の気持ちも乗り切らないし、それ以前に役者さんの演技そのものがブツ切りにされているわけですから、演じている綾瀬はるかちゃんの気持ちが乗り切った瞬間を押えることができているのかは甚だ疑問です。このシーンは、「映画監督」ならば、自己満足の小細工を封印して、1カットで撮るぐらいの心意気を見せて、役者さんの演技を最大限に生かす努力をするべきでした。

行定勲監督の『春の雪』(2005年 東宝)のメイキングを見て衝撃的だったシーンがあります。このシーンは、竹内結子ちゃん演じる主人公が恋人と別れた後、汽車が発車して、もう二度と会えないかもしれないことを思い、涙を流すまでの数分間を1カットで撮ろうというシーンですが、監督が「涙を落とすポイントが気に入らない」という理由で何十テイク(確か37テイクぐらい)も繰り返していました。傍(はた)から見れば理不尽とも思える監督の要求に応えようと、何度も気持ちを乗せて涙を落とす竹内結子ちゃんの「女優魂」もすごいと思いましたが、行定監督の妥協を許さないストイックな姿勢にも「映画監督魂」を感じました。

そんな仕事ができるのは、そこに役者さんと監督の信頼関係が存在しているからこそだと言えます。本作においても、監督が役者さんの演技力を信頼しているのならば、監督が「下手な小細工」をする必要なんてないはずです。というかそもそも羽住監督には、映画撮影の基本ともいえる「役者さんのお芝居を撮っている」という意識が低いのかもしれません。

ここからは再び私の想像に基づく分析ですが、羽住監督の映画作りの基本は、「あるものを伝えたいからこうやって撮る」のではなくて、「こうやって撮ってみました。あとは勝手に感じてください」というスタンスのような気がします。つまり、彼にとっては「映画を撮る」ことそれ自体が目的であって、映画を通じて何を表現するのかという「ビジョン」が希薄なんだと思います。カット割は複雑であればあるほど、カメラワークは手間をかければかけるほど、羽住監督の「個人的な目的」は達成されていくわけです。

ここまできて「優秀な助監督が優秀な映画監督になるとは限らない」理由に思い当たりました。おそらく優秀な助監督というのは、ある種、職人のようなところがあって、複雑で手間のかかるシーンを効率よくこなしていく「個々の作業」が得意なのであって、そこには全体的なビジョンが存在していないのだと思います。羽住監督の映画作りは、助監督の延長線上にあるものであって、映画を撮っていても、真の映画監督にはなりきれていません。「職人」がいなければ映画は撮れませんが、映画監督は「棟梁」でなければならないのです。

最後に、本レビューには「羽住英一郎監督は優秀な映画監督ではない」という大前提が存在してしまっていますが、それは完全なる個人的な見解であって、「単なる好き嫌いの問題である」とも言えることをお断りしておきます。

 
参考:岡田惠和氏が手がけた主な作品
 『若者のすべて』(1994年 CX)
 『輝く季節の中で』(1995年 CX)
 『ビーチボーイズ』(1997年 CX)
 『君の手がささやいてる』(1997年-2004年 ANB)
 『天気予報の恋人』(2000年 CX)
 『ちゅらさん』(2001年-2007年 NHK)
 『アンティーク~西洋骨董洋菓子店』(2001年 CX)
 『恋セヨ乙女』(2002年 NHK)
 『いま、会いにゆきます』(2004年 東宝)
 『小公女セイラ』(2009年 TBS)

参考:羽住英一郎監督が手がけた作品
 『海猿 ウミザル』(2004年 東宝)
 『逆境ナイン』(2005年 アスミック・エース)
 『LIMIT OF LOVE 海猿』(2006年 東宝)
 『銀色のシーズン』(2008年 東宝)
 『海猿3』(2010年公開予定 東宝)
 
 
    

総合評価 ★★★☆☆
 物語 ★★★
 配役 ★★☆☆
 演出 ☆☆☆☆
 映像 ☆☆☆☆
 音楽 ★★★☆☆


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コメント 2

よーじっく

こんにちはぁ、(^_^)/

1カットのくだりは、なるほどと思いました。
かなり作品の印象が変わると言うか
作品の芯として、支えるものになりそうですね。
by よーじっく (2009-11-14 15:59) 

ジャニスカ

コメントありがとうございます!
私は、作り手の意思を感じ取ることに主眼を置いて映画を観るようにしていますが、
羽住作品からは、たとえば身内によく思われたいというような邪(よこしま)で内向きの「意思」しか感じられません。
一人前の映画監督ならば、もっと観客を意識した外向きの力強い演出を期待したいところです。

すいません、、、レビューの続きみたいになってしまいました(^^ゞ。
また遊びに来てください!
by ジャニスカ (2009-11-14 20:56) 

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