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容疑者Xの献身 [映画レビュー]

容疑者Xの献身 スタンダード・エディション [DVD][ DVD ]
容疑者Xの献身 スタンダード・エディション
( ポニーキャニオン / ASIN:B001OF63WE )


[ DVD ]
容疑者Xの献身 スペシャル・エディション
( ポニーキャニオン / ASIN:B001I91A0G )


[ Blu-ray ]

容疑者Xの献身 ブルーレイディスク
( ポニーキャニオン / ASIN:B001OF63WO )

『容疑者Xの献身』
(2008年 東宝 128分)
監督:西谷弘 脚本:福田靖 出演:福山雅治、堤真一、松雪泰子
          Official / Wikipedia / Kinejun           

2009090701.jpg
(C) 2008 フジテレビジョン / アミューズ / S・D・P / FNS27社

本作は、テレビドラマ『ガリレオ』の映画化ということになるわけですが、テレビドラマが映画化される際にはそのタイトルに「劇場版」や「The Movie」などの文言がつくのがひとつのパターンとなっています。本作にあってもテレビとのメディアミックスを意識した場合、『ガリレオ劇場版 容疑者Xの献身』というタイトルだったとしてもなんの違和感も感じないと思いますが、あえて原作そのままのタイトルにしたところに製作者サイドの懐の深さが感じられます。

そもそもテレビドラマから映画化という流れを最初に確立したのはフジテレビであり、本作のプロデューサーでもある亀山千広氏が『踊る大捜査線』で大成功させた手法です。そのフジテレビが本作に限って原作のタイトルを尊重したところが、本作が安易な「劇場版」ではないことを示しており、純粋に質の高い原作の映像化を目指したことが窺えます。

この物語の秀逸さは「幾何の問題に見えて実は関数の問題」という台詞に集約されていると思いますが、それはいわゆる「トリック」の秀逸さを表現しています。その一方で、本作のタイトルのうち「献身」という言葉が持つ意味に注目して観ると、この物語のもうひとつの側面が浮かび上がってきます。すなわち石神(堤真一)がお隣さん(松雪泰子)のためになぜそこまでのことをするのかという「動機」です。

序盤、「献身」の意味は、「美人のお隣さん」という台詞が頻繁に登場することからも、石神がお隣さんに好意を持っていたという程度のものでした。この時点では石神が殺人を犯していることを我々は知りませんから、十分に納得できるものです。それが中盤、石神のストーカーまがいの行為が描写されると、「献身」の意味が一気に不気味で屈折したものへと変化していきます。そして最後、石神が犯した行動のすべてがあきらかになると、さらに一転して、生きる希望をくれた人への「献身」という崇高なものへと変わっていくのです。

この「献身」の意味が何度となく塗り変わっていく見事な描写はおそらく原作がもつ質の高さからくるものであり、その意味で、製作者は原作が持つ奥深さと力強さを映像化することに成功したと言えます。私は、東野圭吾の小説は一冊も読んだことがありませんが、原作とした映画はほとんど見ています。小説が映像化されると原作を読みたくなるのが私の性分なのですが、どういうわけか東野氏の作品を手に取ろうと思ったことがありません。東野作品の映像化はどれも良作であり、漠然とですが、素晴らしい原作の元に成立してるに違いないというのが共通した感想でした。本作においても、際立っていたのは物語の面白さであって、東野作品の質の高さを映画を通じて改めて確認し、今回もそれだけで満足してしまったのでした。

西谷弘監督は、フジテレビ所属のディレクターですが、映画は『県庁の星』(2006年 東宝)に続いて2本目となります。本作は前作とは打って変わってシリアスで重厚な演出が光っていましたが、やはりテレビドラマ出身の監督ならではの「カットの多さ」が少し気になってしまいました。

映画がテレビと異なる点は、当たり前ですが、観客がテレビの何百倍の大きさのスクリーンで見ることです。つまり、映画の場合、スクリーンに映っている情報量はテレビとは比べ物にならないもので、監督にはその点を意識したカット割が要求されます。我々は映画を大画面で観るとき、無意識かもしれませんが、画面上、メインの被写体の背景からも情報を読み取ろうとします。しかし、演出上のカットが多いと、我々はこの作業を中断しなければなりません。「被写体の背景に深い意味はありません」と言う監督がいるかもしれませんが、スクリーンで観ている人にそれは通用しません。それが映画を映画館で見る醍醐味のひとつなんですから。

したがって、それぞれの特性を考えた場合、大雑把に言えば、映画は「引きの絵」で見せて、テレビドラマは「顔寄りの絵」で見せるというのがセオリーとなってきます。わかりやすく言えば、テレビドラマは被写体そのものに、映画は画面全体に意味が込められていることが多いと思います。仮に監督が「被写体の背景に深い意味はありません」というつもりで映画を撮っているとしたら、こんなにもったいなことはありません。監督は大画面が持つ情報量の大きさを如何なく発揮できるカットを考えて撮らなければならないのです。

本作をそういう目で見たとき、テレビドラマの手法をそのまま移植したようなシーンが見受けられたのが残念でした。例えばですが、湯川(福山雅治)が石神(堤真一)の部屋を尋ねてお酒を呑むシーンですが、二人の「顔寄り同ポジ」のカットを切り返していくことで二人の会話を描写していく手法などは特にドラマ的だと思いました。

映画なら2ショットの引き絵でワンカットドーン!でも成立するところですが、監督の意図が二人の会話そのものに意味を持たせることにあるのであれば仕方ありません。しかし、このシーンの冒頭にお隣さんとの関係を示す割り箸を写すカットがあったことで、石神の部屋そのものを描写することにも意味が発生しました。冒頭のカットを生かすなら、もう少し大雑把なカット割りでゆっくりと石神の部屋を見せるような演出でもよかったような気がしました。とは言え、そんなものは重箱の隅をつつくような話であり、本作の全体的な完成度が揺らぐものではありません。

本作の演出上のもうひとつの特徴を挙げると「東京」のリアルな描写です。冒頭に石神の通勤シーンがあります。萬年橋の袂にあるアパートから清洲橋で隅田川を渡って、隅田川テラスに下り、浜町公園を横断して、浜町駅から地下鉄に乗る、という通勤ルートは、東京の地理に明るい人ならば、それが自然なルートであることがわかると思います。ただの通勤シーンなのに、この人物が東京という街にリアルに存在していることを感じることができ、それが冬の東京であるところから、この人物が必ずしも前向きな生き方をしているわけではないことが伝わってきます。また、このシーンで映し出されるホームレスの存在が物語の重要な伏線になっていることも見逃せません。

そして、私が大好きなのは、エンドロールバックで映し出される「東京」です。遺体捜索のために隅田川を行き交う警察の舟艇からバックして東京の俯瞰(ふかん)に移っていく映像は、この物語のまとめとしては最良のものだったと思います。この物語全体を通じて、冬の東京のもの寂しさが石神の生き方そのものを表現していたとすれば、最後に映し出される東京に雪がちらつき始めるという演出は、いわば石神の生き方に対しての「とどめ」のようなものに思えて、こんなに複雑でやりきれない強烈な余韻を残すエンディングはありません。冒頭の通勤シーンとこのエンディングが意図的にリンクされたものだとしたら素晴らしい演出です。

総合評価 
 物語 ★★★★
 配役 ★★★★★
 演出 ★★
 映像 ★★★★
 音楽 
★★


 参考:東野圭吾の小説を原作とした映画
  『秘密』 (1999年 東宝 滝田洋二郎監督)
  『
g@me.』 (2003年 東宝 井坂聡監督) ※原作「ゲームの名は誘拐」
  『レイクサイドマーダーケース』 (2004年 東宝 青山真治監督) ※原作「レイクサイド」
  『変身』 (2005年 日本出版販売 佐野智樹監督)
  『手紙』 (2006年 ギャガ 生野慈朗監督)
  『さまよう刃』 (2009年予定 東映 益子昌一監督)


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